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戦争はマイノリティー差別を拡大する。

ロシア・ウクライナ問題の解決の糸口がいまだ見えません。一方的に他国に攻め込んでいるロシアが悪いのは間違いありませんが、だからといって激しい戦闘状態が続けば続くほど、無力なまでに犠牲を強いられるのは社会的に弱い立場にある人たちです。人の命に正義や大義は関係なく、奪われた命は二度と戻ることはありません。

他国の侵略から国を守るためには、国民が一丸となって戦うべきだといいます。ウクライナがロシアから無惨なまでの仕打ちを受けてきた歴史を振り返れば、ロシアを相手に降伏はありえないといいます。いかなる条件であろうが早々に講和した方がいいという意見は、ウクライナの人たちの心情を無視した暴論だといいます。このような有識者の人たちの意見も、理解できないことはありません。

でも、それでも私は命の方がはるかに大事だと思うし、理屈ぬきに「あの意見は正しい。この意見はおかしい」といっていられるのは、私たちが平和な環境に身をおいて生きているからにほかならないと思います。まさに喉元に銃口を突きつけられたとき、同じように冷静な言動をとれる人はほとんどいないと思うし、それはそれで気丈で勇敢な態度かもしれませんが、少なくともそれを平均的な国民に求めるのは酷というものでしょう。

ウクライナでは、18歳から60歳までの男性は国外に出国することが許されず、国内にとどまって戦うことが求められています。実際に家族と一緒に国外に避難としようとして出国を拒否されたり、出国の意思を示した男性の写真がネット上に公開され、国民の非難にさらされているともいいます。ウクライナのことはウクライナの人が決めるべきで、他国の人が口を挟むべきではないというのはその通りですが、少なくとも意思に反した行動が強いられて命が危険にさらされるのは、国際的にも人権問題となりうる現実だと思います。


戦争が人間が行う営為の中でももっとも醜いのは、それがかけがえのない人命を奪うおぞましい出来事であるからなのはいうまでもなく、さらに人間社会に存在する構造的な差別を助長し、根づかせる間接的な働きがあるからです。戦争で戦うのは、多くの場合、男性です。昨今では職業軍人だけでなく、志願兵にも女性がいますが、女性が国家的なリーダーシップを発揮して戦争を主導したという歴史は、少なくとも近代以降においては聞いたことがありません。戦争=男性という人類の歴史は、単に男性の身体的・肉体的な性質ばかりでなく、精神面や意識面が大きく介在しているように思います。それは、先天的な資質ばかりではなく、教育や社会的な仕組みによって後天的に与えられる要素も小さくないと思います。

戦争にもルールがあります。他国から攻められたときに自国を守るための防衛に正当性があるのはもちろんですが、条約や同盟関係に基づいて密接な関係にある国のために派兵したり、自国の利益が侵害される状況に対応するために集団的自衛権を行使するような場面もあります。しかし、いずれの場合にも共通するのは、正規であれ予備であれ徴兵制であれ、何らかの軍隊が必要だという点です。そして、軍隊はあらゆる組織や機構の中でも特殊な原理によって統率されるのが一般的です。

旧日本軍における人権蹂躙も甚だしい上官による部下への行き過ぎた「しごき」はあまりにも有名です。こんにちであれば間違いなく行き過ぎたパワハラとして司法の裁きを受けるレベルの違法行為が、一上官の個人的な判断ではなく、国家的・組織的に行われていたともいわれます。このような風土を下支えしたのは、男性は女性よりも優越した存在だという思想でした。軍隊組織では、「男であること」が必要以上に煽られ、勇敢さを欠いたり規律を乱す言動は「女々しい」として蔑まれました。ある種のマインドコントロールにおかれた彼らの脳裏には、無意識のうちに女性を男性よりも劣後した存在とみなす女性蔑視の思想が植えつけられていきました。

このような弊害は、日本のみならずお隣の韓国においても見られます。韓国では今でも徴兵制が敷かれていますが、兵役を終えた若い男性たちの脳裏には知らず知らずのうちに女性蔑視の感覚が刷り込まれてしまい、その後の社会生活において無意識のうちに女性を下位におくような言動をしてしまったり、女性と対等な関係で良好なコミュニケーションをとることができない悩みを抱える人も少なくないといいます。これらは、総じて戦争と向き合う軍隊の大いなる構造的・思想的な問題点だといえるでしょう。


さらに戦争や軍隊の弊害は、マイノリティーに対する差別意識を根づかせる点にもあります。いわゆるLGBTQに代表されるようなマイノリティーの存在は、今では社会的な個性として認め合って共存共栄をはかるのが当たり前というのが、国際的な理解となりつつあります。ところが、“戦時の論理”においては、女性的な傾向を持つ男性が「男なのに戦わないのはおかしい」と指弾され、逆に男性的な志向の強い女性は「男のようには振る舞えない葛藤」に直面することになります。つまりは、現在においてはジェンダーとはグラデーションであるという理解が一般的であるにもかかわらず、男性と女性との性差はあたかも磁石のS極とN極のように正反対のものであり、決して交わることはないという発想が究極までに高められることになるのです。

他国が愛すべき国を侵略することは、あってはならない暴挙です。このために命をかけて戦い、何としても祖国を守りぬきたいという信念は、高邁なものだと私も思います。その一方で、愛すべき国を守るという正義のもとに、戦闘による被害とはまた別の次元で、全体の構造としてマイノリティーへの差別が拡大するという点も看過することができないと思います。戦争から国を守るには軍隊が必要という発想は、大義のために戦うには軍隊が必要という論理に結びつきがちです。軍隊は、基本的には時代を超えた男性的な装置です。そこでは女性は排除され、ときには蔑視思想が植えつけられ、そして女性的な気質を持つ男性は指弾されます。

戦いから身を守るために戦い、たとえその戦いに勝利し、みごとに守り抜くことができたとしても、常に多くの犠牲を払わされるのが戦争。その犠牲は、直接的な目に見える被害だけではなく、構造的な差別を根深くするという被害もともないます。このような間接的な被害は、迂遠的かつ時間差攻撃によって、命を奪うこともあります。戦争が人々に不幸をもたらす「二重構造」について、私たちは十分に考え、叡智をしぼっていかなければならないと思います。

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橘亜季@『男はスカートをはいてはいけないのか?』の著者
学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。