女性の容姿とビジネス上の評価の関係
「生まれ変わるとしたら、男に生まれたいか? 女に生まれたいか?」。
こんな古典的な問いに対して、かつては男女ともに「男に生まれたい」と答える人が多かったものの、最近は完全に逆転して「女に生まれたい」という人が多いといいます。
この傾向は「子どもを産むとしたら、男女どちらがよいか?」という問いでも同じであり、かつては同じ姓を受け継ぎ後継者になりやすい男の子を希望する人が多かったものの、最近は「育てやすい」「共感しやすい」「お金がかからない」といった理由で女の子を求める人が多いといいます。
女性が男性と同じように働くのが当然の時代となり、ファッションやライフスタイルにおいても男女の垣根が低くなる中で、女性は“男性社会”の論理に縛られない“自由”を手にしているともいえます。
例えば真夏のビジネスシーンでも、男性はクールビズと称しつつもネクタイを外しただけのワイシャツ姿が圧倒的に多いのに対して、ワンピースやカットソーやTシャツなど自由で自分らしいカジュアルな服装をする人も多いです。
このような場面を目にして、「女性の服装は自由でよい」とか「男性は服装に興味がない」といった“社会通念”を持ち出す人も少なくありません。ただ、実際には価値観は人それぞれですから、女性でも制服があった方がラクでいいと考える人もいれば、男性でも個性的なオシャレがしたくて仕方ない人もいます。
その意味では、とりわけ若い世代の男性の中には「自由な格好が許される女性がうらやましい」「男性にのみスーツ着用が求められるのはおかしい」と考える人も増えつつあります。
さらに、若くてキレイな女性はまわりからの評価も高いため、恋愛や友達づくりにおいて有利なだけでなく、ビジネスシーンでも得をするのではないかという見方があります。
実際にビジネスにおけるサービス産業化がますます加速し、人と人とのコミュニケーションの資質がより求められる場面が増える中で、容姿が対人的な評価のうちの大きな要素を占めることは間違いなく、「女性は得」「美人は得」というのはひとつの現実です。
それでは、実際には女性の容姿とビジネス上の評価の関係はどのように考えることができるのでしょうか? 脳科学者の中野信子氏は話題作となっている『空気を読む脳』(講談社α新書)の中で、女性の容姿と現実社会との関係についても考察されています。
「第2章 容姿や性へのペナルティ」によると、美しい女性は社会的・経済的にも得をしていると考える人が多いものの、実際には容姿の良さがかえってマイナスに働き、美人は平均的な女性より損をしてしまう傾向があるといいます。
その理由は、外見が良いことは男性ではビジネス上も有利に働くが、女性はむしろ逆であり、消極的で意欲や決断力に欠けるという偏見を持たれる傾向があるからだといいます。
美しい女性は、事務職などコミュニケーション能力が必要とされる職種では高く評価されるものの、決断力や指導力が求められる管理職やビジネスパートナーとしては不利に扱われます。そのため、組織の中で出世していきたい女性は、できるだけ自分を「女性としての魅力に乏しく」「男性的に」見せる必要に迫られます。
このような中野氏の見立ては、とても興味深い考察です。色とりどりのファッションに自由奔放にたしなむ女性たちを傍らに、個性を発揮しにくく暑さや寒さにも対応しにくい画一的なスーツに身を固める男性たちは、それが企業や文化によって強制されたものだという以上に、スーツ=体制派の“定型”をむしろ“武器”として利用しているととらえることができるかもしれません。
男女に物理的・生物学的な性差があることはもとよりですが、そうした“差”を必要以上に強調することによって“差別”が生じてしまっていたり、事実上の活躍が阻害されているとしたら、これほど不合理なことはないといえるでしょう。いかに国が女性活躍推進をうったえ、女性の社会的・経済的地位の向上を目指しても、それらは現実に私たちの社会を生活を取り巻く“意識”にアクセスするものでなければ、残念ながら効果は限定的だと思います。
その意味では、若い世代の人がファッションにおいて男女の垣根をなくそうとし、「男らしさ」「女らしさ」といった旧来の価値観とは一線を画した“中性的な”ライフスタイルを目指す動きが見られることは、トレンドとしては必ずしも悲観したり否定されるべきものではなく、むしろこれからの時代への先駆け的な積極的な挑戦だと受け止めることもできるでしょう。
若い男性の中に、スーツを着ることを毛嫌いし、他人とは違った個性を発揮したいと考える人が増えつつあることは、男女の間の不合理な““壁”を低くし、間接的とはいえ女性活躍推進を後押しする動きだととらえることができるかもしれません。
比喩的な表現でいえば、「男性がスーツという“鎧”を脱ぎ捨てることで、ビジネスシーンはいっきにフラットになる」。私は、そのように思います。
男性に生まれようが、女性に生まれようが、みんながそのことを誇りに思い、心から対等に支え合い、評価し合える世の中を目指していきたいものです。
学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。