習い事の思い出
書道は基本的にまねる作業の繰り返しだ。よく知らないなんかすごい人が書いたお手本とにらめっこをしなが枚数を重ねていく。
私はこれを十年ほど習い事としてやっていた。物心がつくかつかないぐらいに、親に連れられ教室へと通いはじめた。次第に書くという行為自体を好きになっていった。
半紙と墨だけで作品ができるシンプルさとは対照的に、半紙に向かう姿勢、筆の位置、筆圧のかけ具合、筆の穂先の角度、重心の置き方、様々な要素が最後の一筆まで全て正しくかみ合わなければ、たちまち作品としての輝きを失ってしまう。
この真っ白な世界で手探りに何度も何度も書き続ける作業は、まるで無色透明のジグソーパズルを解くような感覚だった。
そんなジグソーパズルをよく10年も続けられたなと今更不思議に思う。当時、毎日酸欠するような学校生活を送っていた私にとって、筆をとり、精神を落ち着かせ、息することも忘れて真摯に文字と向き合うあの時間が、本来の自分で居られる大切なものだった。
おかげで美しい字を書く基礎的能力はそれなりに身に着いたが、大人になりそのアナログな長所を使えるのは、のし袋の名前書きぐらいしかなくなった。
書いたものを誰かに見せる出番はなくても、私には書くという行為そのものの楽しさを知っていることが財産のひとつだ。