便利のなかで生きていく代償
こんにちは、秋晴です。
現在って、少しずつ進歩が目に分かる時代になった気がします。
スマホ1つがあれば、いつでもどこでも何かをできます。
少し昔ならば、考えられないことも、今ではできることもあります。
しかし、便利な世の中を生きることが本当に良いことなのか、疑問に思います。
ただ、便利に流されていても、幸せにはなれない気がして仕方がありません。
このnote以外にも、ブログを複数作成しているため、興味がある人は見て下さい。
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便利のなかで生きること
その1:便利と感じる場面
今の時代、スマホにまとめると、基本的なことはできてしまう。
荷物が少なくなって、生きやすいと感じる場面もたくさんある。
そもそも、中学生の頃から、多くの物を持つことが苦手だった。
それゆえ、スマホがあれば、余分な物を持たなくて済むのも事実だ。
大学生になった今でも、スマホを使い続けている。
支払いや連絡は基本的に、スマホで行うことが多い。
財布は所有しているが、それでも、スマホ・カードの支払いが大半だ。
買い物での支払いのストレスが省けるから、その方法を採用している。
また、いつでもどこでも、誰かと連絡をできることもありがたい。
その日に遊びに行こうということもできるし、今を大事にできる。
多分、今スマホがなければ、昔の友人と誰にも会っていない気がする。
そういう意味では、縁を繋ぐアイテムとして、便利だろう。
おかげで、今でも幼稚園の友人らとご飯に行くこともある。
当たり前だが、今所有していないならば、失ってしまうものもたくさんある。
それくらい、スマホの便利さは、当たり前の時代になってきていると言える。
その2:便利のなかで失われているもの
日々、スマホの便利さを感じつつも、少し怖いなと感じる場面もあります。
怖いというよりも、このまま生きていて、後悔すると感じます。
何かをすぐに得れるということは、本当に良いことなのか。
大した苦労もせずに、得られるものなんて、所詮大したものではない。
そう思っているからこそ、小さな満足では満たされないのでしょう。
それに、最近はスマホですぐに得られるから、我慢できない人も多いです。
これは学生だけに限らず、大人にも同様に言えることです。
全てを我慢しろとは、正直思いません。
嫌なことから逃げることも本当に大事だと思います。
僕も、スマホが苦手だったので、逃げてきた過去もあります。
それを失うことで、友人との距離も一時的に離れたのも事実です。
それくらいしてでも、スマホは怖いと感じます。
だからこそ、スマホでやることを極力減らしています。
LINEでの連絡
筋トレのメニュー作り
目的地への位置情報
お金の管理
幸いなことに、PCも所有しているので、そちらでやることを分けています。
例えば、Amazonなどのネットショッピングはスマホではしないです。
代替案を設けることで、スマホへの恐怖を誤魔化しているだけかもしれません。
根本として、スマホを持つと便利になるのは事実です。
そもそも、本当に便利ではない人からしたら、それは幸せになります。
ただ、すでに便利の中にいる人にとっては、それは幸せなのでしょうか。
端からみると、便利に流されているだけな気がしてしまいます。
自分も含めて、何も考えていないと、流されていくのは仕方がないです。
それに抗おうとする姿勢は、別に罪ではないはずです。
便利の中にいるからこそ、失っているものもたくさんあるはずです。
ただ、誰もそのことを教えてくれる人はいません。
企業やクリエイターは、たくさん見てもらうことを意識しています。
そのため、スマホから離れてしまえば、本末転倒です。
だからこそ、気づかない代償がそこには潜んでいる気がしています。
▶︎求めすぎずに生きてみる
まとめ:少し不便くらいがちょうど良い
本当は、便利の中で生きていることは、幸せなことのはずです。
なのに、それに満たされていない自分がいるのも事実です。
それも、昨日や今日の話でもなく、何年間も思い続けていることです。
ずっと悩み続けるならば、不便の中を生きてやろうと思います。
その中にある幸せに見つけて、生きたいとまで思います。
僕の場合、スマホを持っている限りは本当の幸せになれないかもです。
だからこそ、不便を愛する生き方が、良いのかもしれません。
結局、今をストレス感じることなく、生きるのが大切と思いますね。
▶︎スマホ依存について
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