ラグビーを与えてくれた両親に、ラグビーで親孝行を...
皆さん初めましてですね、Ackeyって言います。
このnoteを使い、僕の人生録を書き残そうと思い、本格的に始めようと思う。
いまこの記事を書いてる時は24歳、やりたいことがあって...
「親孝行」
みんなは当たり前のように、親に感謝の気持ちを持ってプレゼントしたり、旅行に連れて行ったり、様々な親孝行をしたことがあるんじゃないかな。
僕は、人生で一度も親孝行をしたことがないんだ。
一生に一度、最高の親孝行をしたい想いから、これを始めてみる。
夢を持つまで、ろくな人間じゃなかった
1996年10月9日 オホーツクという北海道の東(道東)で生まれ育つ。
本名 三浦アキラ
幼いころからよく外で遊んでいて、すごい泣き虫。ちょっと友達に悪口言われただけで、涙目になってしまってたなぁ笑
勉強はとても苦手だった。
そのかわり、体を動かすことは得意な方だった。
私の二人の姉は頭脳派、北海道でハイレベルな教育大学に長女、次女とも入学を果たし今は教員として働いているんだ。誇りだよね。
僕は勉学に一生懸命励むことが出来なかったので、将来何をやりたいのか...
思春期に突入した中学時代
この三年間、思い出はないよ。
一年目、友達との距離を掴めず、部活で野球をやっていても人間関係で葛藤する日々。
二年目、すこし目立っただけでクラスの女子たちから陰で罵倒され、間接的にいじめに遭う日々。
そして三年目、部活もレギュラーになれず引退、文化祭をきっかけに学級崩壊が始まった。
精神崩壊、人間不信。
このままなにも変わらずに過ごしていたら、今僕はこれを書いていない。
すべてのきっかけ作りの父親、すべてを支えてくれた母親
小学5年、テレビでラグビーの試合が行われててね、父親から
ラグビーどう?
ちいさなきっかけだった。
チームスポーツをやらせたかった父親の案に乗ったんだ。
そのおかげで、高校を選ぶ際も父親の人間的きっかけで、強豪校に行く決心が出来たんだ。
だけど、一年目は上手くいかない日々、上手くいかなさ過ぎて、はじめて母親に「あんたの試合なんか見たくない、応援もしたくない」と言われ、挫折を味わった。
そこから少しずつ成長して、二年生でレギュラー獲得。花園にも出られて大満足。
だったはずが、心の中に引っかかるものがあった。
家族がその試合を大阪まで見に来なかったこと。
「来年も出れるでしょ?笑」
僕も両親も過信してたのが仇となったんだ。
三年生の全道大会決勝でまさかの敗北。
僕が主将となって連覇を途絶えさせた。
こう思った。「まだラグビーを辞めたらだめだ」
親孝行の真意
あるきっかけでNZに興味をもった瞬間があったんだ。
お金を貯めて、NZでラグビーしよう!
陸上自衛隊に入隊して、頑張って貯金した。
そしたら、その二年後にはNZの地に足を下ろしていたよ。
一年間ラグビー漬けの毎日だった。
それでさ、キッカケをくれた両親にここで親孝行したいと思ったんだよね。
最高の舞台NZで輝いてる姿を見せてあげたいってね。
こうゆう風に育ててくれてありがとうって。
僕はとても不器用で、マルチタスクな人間じゃないんだ。
姉妹は言葉、物で感謝を述べられる人だ。
けど、僕は姿と行動でしか魅せてあげられないと思ってる。
そのときがきたら自信をもってこう言いたい。
あなたたちの元に生まれてよかった
その瞬間が来たときは、僕の口から言うつもりだ。
両親は花園の試合を見に行かなかったことを、後悔している。
だから、それ以上に大きな舞台で僕の最後のラグビーを感謝を込めて見せてあげたい。
僕は、才能を持っていない。
体も大きくない。
この生き様がセンスである。
このnoteを使ってみんなには後悔の無いように生きてもらいたいと伝えたい。
一個人の意見だから、参考にならないかもしれないけどぜひ見届けて欲しいと思う。