28 大戦景気
本時の問い「大戦景気は大衆の生活を豊かにしたのか。」
第28回目の授業は大戦景気を扱いました。本時の問いは「大戦景気は大衆の生活を豊かにしたのか。」でしたね。
大戦景気
まず教科書の「大戦前後の貿易」という1904~1928年までの日本の輸出入額の推移を表わすグラフから、大戦景気の特徴を考えてもらいました。みなさんきちんとグラフが読み取れていましたね。1914年から始まった第一次世界大戦中に日本の輸出額、輸入額ともに急拡大しています。輸出額が輸入額を上回っている状況も読み取っていました。「輸出超過」という言葉を使って説明した人もいましたね。
このように日本の輸出の急拡大によってもたらされたのが大戦景気です。では輸出の特徴を見てみると、綿糸や綿織物はアジア市場へ、生糸はアメリカ市場へと輸出を伸ばしました。その背景には、第一次世界大戦でヨーロッパ列強からアジアへの輸出がこと、大戦に中立の立場をとっていたアメリカも戦争景気となっていたことがあります。つまり戦争という特別な状況がもたらした好景気だったのです。また、この大戦景気中、日本は債務国から債権国になりました。
重工業
大戦景気は造船業・海運業にも空前の好況をもたらします。日本はイギリス・アメリカに次ぐ世界第3位の海運国となります。造船業の好況のなか、鉄鋼業では八幡製鉄所が拡張され、満鉄は鞍山製鉄所を設立します。このことに関連して、大戦景気の授業ではよく取り上げられる「どうだ明くなったろう」というセリフで有名な風刺画を確認しました。
化学工業の勃興
大戦中、ドイツからの輸入が途絶えます。そのため、薬品・染料・肥料などの分野で国産化が進みます。
また、電力業では大規模な水力発電事業が展開され、猪苗代から東京への長距離送電に成功し、工業原動力としての電力の利用も進みます。そのため電気機械工業も発達しました。
農業国から工業国へ
資料集の1914年と1919年の生産総額とその中で工業・農業・鉱業・水産業などが占める割合のグラフを確認しました。大戦景気は日本を工業国へと変貌させたことがわかります。
人々の生活はどうなったのか
第一次世界大戦開始後の物価指数の変動に関するグラフから、人びとの生活がどうなったのかを考えてもらいました。賃金、米価、物価が表示されているグラフなので、賃金を得て生活している人たちの暮らしを考えることができます。大戦景気のあいだで見てみると、賃金は上昇していますが、物価の上昇には追いついていないことが読み取れます。だから、大戦景気とは言っても、物価の高騰で苦しむ民衆がいたということがわかります。
大戦景気はいつ終わったのか
1920年、戦後恐慌がおこります。1920年代は慢性的な不況が続く時代です。このことについては、また別の授業で扱うことになります。
授業が終わった後で
授業が終わる直前にあるクラスで考え込んでいる生徒がいました。
「先生、大戦景気は戦後恐慌で終わったけど、1920年代は賃金の平均は高止まりで、物価は下落しているから、人びとの生活は余裕があるのではないですか。それなのに恐慌というのはどういうことですか。」
今回は大戦景気中の人びとの生活と言うことで学習しましたが、1920年代は慢性的な不況と言いながら、賃金と物価・米価を比べると人びとの生活には余裕がありそうです。とてもいいところに気がついてくれました。この話についても、別の機会に授業の中で扱っていこうと思います。
今日はここまでとします。