35 戦後恐慌から金融恐慌へ
本時の問い「1920年代に恐慌が連続した最も重要な原因は何だと考えるか。」
第35回目の授業は1920年に発生した戦後恐慌から、1927年の金融恐慌までの経済史を扱いました。本時の問いは「1920年代に恐慌が連続した最も重要な原因は何だと考えるか。」でした。
戦後恐慌
1920年、原敬内閣のときに戦後恐慌が発生します。
戦後恐慌について理解するためには、その前の経済状況がどうだったのかがわからなければいけません。直前までは大戦景気と呼ばれた空前の好景気により、日本経済が急速に成長しました。輸出が好調でしたが、日本のどの製品がどの地域に特に輸出されたのかを思い出せますか?
大戦景気
・軍需品 → ヨーロッパ市場(英・仏・露の連合国)へ
・綿製品 → 欧州列強が後退した中国市場へ
・生糸 → 戦争景気のアメリカ市場へ
いずれも第一次世界大戦という特殊な状況の中での輸出拡大でしたから、戦争が終わると輸出も減っていきます。そのため売れない製品の在庫をかかえた会社の中に経営危機におちいるものもいました。また、大戦景気で急成長した会社の中には銀行からお金を借りられるだけ借りて経営を拡大したものもいます。それが大戦が終結し不景気になると、借金返済に苦しむ企業もありました。
このような経済不況が広がる中、原敬内閣は日本銀行の特別融資により、銀行をとおして経営が悪化した企業を救済させました。これで恐慌は沈静化しますが、実際は海外の企業や製品と競争して売れないものをつくる企業が救われて生き残ったのですから、救済された企業がこの先も生き残っていけるのかと考えるとかなり厳しい状況です。つまり、この不況対策は問題の先延ばしでしかなかったと言えます。
震災恐慌
1923年9月1日、関東大震災が発生します。東京は廃墟と化しました。これにより東京にオフィスや工場を持つ企業は大きな打撃を受けます。ここで問題となったのが震災手形です。手形は会社が取引先から商品などの購入代金を支払う際に使うものです。会社間では現金での取引でなく、「〇年〇月〇日までに代金を支払います」という約束を書いた手形で取引をします。約束された期日に代金を支払う手形は、銀行に売られることもあります。
関東大震災が発生し被災した企業の中には、約束の期日に手形に記載されたお金を用意できないものもいました。そのような震災によって現金化することのできない震災手形を抱えた銀行は経営が悪化します。このような銀行を救済するため、第2次山本権兵衛内閣は日本銀行に特別融資をさせることで銀行を救済させました。
震災手形の処理が進まず
被災した企業が経営を立て直せば、震災手形の支払いができるようになり、そうすれば銀行は日本銀行から受けた融資を返済することができます。しかし、震災からの復興は進んでいるのに、特別融資の返済はなかなか進まない状況にありました。1926年末の時点で、約4億円の特別融資のうち、約2億が返ってきていない状況でした。
つまり銀行は震災で被害を受けたために一時的に経営が悪化した企業の手形を震災手形として抱えていたのではなく、もともと経営がよくない企業の手形をも震災手形として抱えていたのです。
銀行の取引相手が経営の良くない企業だと、その企業が倒産してしまったら、銀行の経営にも悪影響が及ぶことになります。預金者の間で銀行の経営に対する不信感が高まってきました。
金融恐慌
1927年、とうとう銀行に対する信用不安の高まりから金融恐慌が発生します。きっかけは震災手形処理法案の審議中に大蔵大臣の片岡直温が、東京渡辺銀行が経営の悪化により休業したと失言したことでした。これをきっかけに、多くの中小銀行で預金者が預金の引き出しを求めて銀行に殺到する取付け騒ぎが発生し、銀行の休業が続出したのです。この騒ぎは沈静化しましたが、今度は大戦景気の時期に台湾銀行の融資によって急成長を遂げた鈴木商店が経営破綻し、その影響で台湾銀行も危機におちいりました。台湾銀行は植民地支配のために設立された政府系の銀行です。そこで第1次若槻礼次郎内閣(憲政会)は緊急勅令によって台湾銀行を救済しようとしましたが、枢密院の了承が得られず、内閣総辞職に追い込まれました。
この後成立した立憲政友会の田中義一内閣は、3週間のモラトリアムを発し、その間に日本銀行から巨額の救済融資を行わせます。預金者の不安は「銀行が経営危機なのではないか」という不安です。その不安を解消するため、銀行にたくさんの現金を用意させたのです。多額の現金を短期間で用意するため、片面しか印刷されていない紙幣を発行したほどでした。これにより全国に広がった金融恐慌は沈静化しました。
1920年代は恐慌が連続した時代だった
戦後恐慌、震災恐慌、金融恐慌と連続した恐慌に対し、政府は日本銀行の特別融資によって経営の悪化した企業や銀行を救済してきました。それは慢性的な不況から日本経済を立て直す有効な対策だったのでしょうか。
今日はここまでとします。
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