自分と向き合うことを忘れてた。 ジャーナリングした方がいいと言ってる人をやたらと見るシンクロが起こり、久しぶりにモーニングページを書き綴った。 モヤモヤしてた。 何となく虚しかった。 何となく不満で寂しかった。 そういうのは家族でも友達でも誰かに分かってもらえることではなく、自分だけの感じ方だ。 そんな自分に向き合わないと自分自身を無視することになってしまう。 自分の気持ちを救ってあげなきゃ💪 気持ちを紙の上に吐き出したら、いつもと違うことをやってみる気になった。 やらな
正解か不正解か 他人や社会にどう思われるか 気にしすぎてるから 不安も自信のなさも 答えを外側に求めてるから みんなそれぞれ違うのに 自分の違いも他人の違いも 大らかな心で受け入れることが出来なくて 答えを外側に求めてるから 自ら 既成概念や 型に縛られに行ってるようなもの それらを自分を否定する材料として使ってしまっている もっと自分の気持ちを優先していいし 自分を大事にすることは 人任せには出来ない 自分のやるべきこと この文が誰かのお役に立てたなら 嬉しいです
自分だけは自分の味方をしてやろうと思ったけど それがなんか難しい 役割に縛られすぎたかな 勝手に自分が諦めてきたからかな 家族の中でお母さんであることは 心に豊かさをもたらすものではあったけど 私自身を置いてきぼりにしてきたような ちょっとだけ疲れたみたい パートナーシップも親を反面教師にして まだマシだと思ってきたけど 子育ての2の次にして、長いこと向き合ってこなかった これまで、よく頑張ったよと自分を褒めてみようか 若い頃から手探りでやってきた 子どもが子どもを
noteを書き始めて今日で7回目の投稿 アクセス数が111 エンジェルナンバーの意味は詳しくはないけれど、ゾロ目の数字を見ると、単純にテンション上がります 記事を読みに来てくださる方がいるのは嬉しいです。 ありがとうございます❤️ 今、南海トラフを警戒するような報道が目について 正直、不安です。 お茶碗を洗っていても不安だし、寝つきも悪い 昨夜は久しぶりにお酒を飲んで、はしゃぎ、家族に不安を吐露しお酒の力でリラックスして眠れました。 翌朝、子ども達(と言ってもほぼ成人
実家に手作りの梅干しやゆかりなどを持って行った。 実家からはお米や醤油を貰って来た。 お互いの思いを上手く口には出さない代わりの物々交換だ。 うちの親に限らず、昭和の子育ては思いを伝えるのが下手だったように思う。 時代が子どもを1人の人間として尊重するのではなく、大人の言うことを素直に聞く子を育てることを促していたような気がする。 不器用で未熟だけど、食べ物を食べさせる栄養を与える点に関しては戦後生まれの子育てでは重要視されて、心の教育が追いついてなかったように思う。 親
頭痛、生理不順、手指のこわばり、睡眠の質の低下、生理前の気分の落ち込みが前より激しい あー、ついに更年期突入か 正直、戸惑います。 女の子って大変だな、女ばかり理不尽だなとか、女の子を味方したい気持ちと、女の子特有の意地の悪さが嫌で、それは自分の中にもあったのに、女性に対する否定的な感覚もありました。 だけど、生きていく上で、女性だからこその貴重な経験ができるのも真実です。 ネガティブなことばかりじゃない 自然の摂理 自分の身体を知り、これからの対策をしていきたい
機能不全家族 アダルトチルドレン 毒親 インナーチャイルドを癒す HSP 社会不安障害 などなど 自分の悩みと向き合おうとした時に 知ることになった概念というか あまり、こういうもので自分を証明したり型にはまるのは好きじゃないけど、自己を理解するための参考程度にはなるのかもしれない 今よりずっと若い頃に悩んだことが、歳をとったことで解決した訳じゃないけど、環境が変わって苦しむことは減ったと思う。 それに、こんな概念に収まらないほど、私は自分を変だと思っているし、マイノ
毎日の家族のお弁当作り 夏場はお休み期間だったりしますが、必要な時は作ります。 昨日もお弁当用のおかずを冷蔵庫にあるもので一品作りました。 細切りした人参と中ネギを豚バラ肉で巻いて焼いて味付けしたやつ いつもは、切っただけの野菜をお肉で巻くだけのところ、中ネギの穴に人参を入れてみようと思いつきました。 この思いつきが、なんか楽しい✨ この小さな工夫が新鮮✨ あぁ、そうか、私はマンネリだったんだな クリエティビティを発揮したかったんだな 思いつきを形にすること それを楽し
本を次から次に買ってしまいがち 最近は心理系、自己啓発系を同時に何冊か読んでいて気が乗らなくなったので、積読本の中から小説を読むことにしました。 『52ヘルツのクジラたち』 著者 町田そのこ 表紙の絵とタイトルに惹かれて買った本 まだ途中だけど、自分にとって良いものだという予感がする 自己啓発系の本を手にしている時は、なんとなく自分の中に自己否定がある 自分を変えたい、どうにかしたいという気持ちがあるように思う。 その反対に小説は、今の自分のままで、登場人物たちの心
はじめまして 何年も前になりますが、ある活動を誰かに見てもらいたくて他のところでブログやInstagram投稿をまぁまぁ熱心にしていたことがあります。 おかげで人と繋がって声をかけてもらい活動が広がっていました。 けれど、なんとなくつまづいて、立ち止まって、表現したり外に働きかけることの全てをやめてしまいました。 人と関わることに苦手意識があったので コロナが流行ると 表に出なくなることが楽で それが何年も続き たまに何か発信したいと思っても またやめてしまうかもしれない