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海外旅行への思いをNoteにぶつけてみる

コロナウィルスの感染が拡大して早3年。それまでは長期休暇のたびに海外に旅行に行っていたのに、一度行かなくなってしまうと、どんなふうに旅の準備をしていたのかも忘れそうになる。

そもそも、なぜあんなにも外国に行くことに魅力を感じていたんだろう。いま思えば不思議だ。
普段は少しの風邪なら病院代もケチるような人間が、旅行のためなら何十万の航空券代を払ってしまうし、電車で15分の距離に出かけるのも面倒くさいのに、外国に向かう10時間以上の飛行機には自分から飛び乗ってしまう。
この国に行きたい!と一度思い立ったら、おかしな病気にでもかかったように、旅行のことで頭がいっぱいになってしまうのだ。少し旅行から離れた今となっては、あの時の自分の衝動的な行動の数々が、不思議に思えて仕方ない。

そういえば、異国の遺跡や文化的建造物に出会って何かを感じる事を、旅の目的のひとつにしていた気もする。
はじめてエジプトのピラミッドを見に行ってそれに触れたとき、4000年以上の年月を経て、異常とも思えるほどに滑らかになった石の感触に鳥肌が立ったことは今でも忘れられない。

クフ王のピラミッド。左下のオレンジ色の看板には"No Climing"と書かれている。


日本ではなかなか感じることのできないような、スケールの大きな自然を体感させてくれる場所に行くのも、海外旅行の大きな魅力のひとつだった。
イグアスの滝の轟音の中で、何重にも架かる虹の橋や、色とりどりの蝶に囲まれた時には、本気でここが地上の楽園なんだと信じた。

絶景の中、必死で写真を撮りまくったけど、後で見返すと同じ構図ばかりで絶望した。


海外で飲むお酒の味がたまらなく美味しかったことも思い出してきた。
職場の同僚と一緒に出掛けて、仕事を完全に忘れたバカンスの中で飲むビールは最高だった。一人で酒場に行って、話し掛けてきた現地の人々とすぐに友達になれるのも、お酒の大きな魅力だ。

ミュンヘンのビアホールで、イタリア人の家族と。
向こうはイタリア語、こちらは日本語しか話せなかったのに、1時間以上どうやって話していたのかいまだに不思議だ。

海外ならではのハプニングも、旅の醍醐味だと思えば楽しくなる。
寝坊して電車を乗り過ごしても、行きたかった美術館がストライキで休館になっても、あらかじめ調べていたホテルや定食屋の場所がどうしても分からなくても、自分で何とかするしかないのだ。
その瞬間はかなり焦るけど、帰りの飛行機で真っ先に思い出して楽しくなるのは、そういう時のことだったりする。

ベトナム・ホイアンの路地。はじめての一人旅で迷い込んだ路地で、ギターを演奏する男性に出会って、不安な気持ちを忘れて聞き入ってしまった。


でも、まだまだ行ったことがない場所がある。
いつかグランドキャニオンの渓谷の中をヘリで飛んでみたいし、北極圏でオーロラを見るのもいい。10年以上前に訪れて、混沌とした世界に圧倒されたインドにもまた行きたい。リバプールのアンフィールドで声を枯らしながらサッカーを観たいし、カナダの国立公園でキャンプもしてみたい。

そんな風にあれこれ考えていると、コロナ禍の中で失くしかけていた知的好奇心のようなものが膨れ上がって、一気に頭の中で弾けた。
そうだ。海外への旅はいつも、大人の日常ではなかなか味わうことができなくなった、驚きと新しい出会いを与えてくれたんだった。五感全部で未知の世界を感じるのが楽しくて、僕は夢中でいろいろな国に出かけたのだ。

ヨーロッパやアメリカから少し遅れて、日本でも行動の制限はかなり緩められてきている。夏の長期休暇くらいには、またどこかに出かけて、新しい出会いを楽しみたいと思った。新しいカメラでも買ってみようかな。今から、すごく楽しみになってきた。



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