金玉球体説への反論
我々は光の道を歩まなければならない。光の道を歩むためにも、LEDを地面に埋め込むことが必要となる。LEDが地面に埋め込まれた時、我々は本当に光の道を歩み始める。
光の道とは、啓蒙の道である。
無知蒙昧な群衆は、金玉が球体であると信じているそうではないか。断言しよう。金玉が球体であるはずがない。金玉は平面である。
今からその証拠を提示しよう。
もし、金玉が球体であれば、精子たちは、金玉から転げ落ちてしまうはずである。しかし、そうはなっていない。金玉が平面であり、精子はその上に乗っているのだ。盆の上の皿は落ちることはない。ボールの上に乗っていたら、皿は落下し、割れてしまう。簡単なことではないか。
もし、金玉が球体であれば、それはどこか遠くへ転がっていってしまう。しかし、金玉はいつでもそこにある。平面であれば、転がるはずはないのだから。
人々がこのような馬鹿げた説を信じているのは、光の道を歩んでいないからであろう。光の道を歩むためにも、LEDを道路に埋めなさい。行政はこの対応を渋るだろう。彼らは我々が永遠に闇の中で酩酊していることを望んでいる。だから彼らは地面にLEDを埋め込まないのだ。人々よ、光の道を歩め。一人一人が地面にLEDを埋め込むのだ。
私は数日前、家の床にLEDを敷き詰め、そこを歩いた。すると、突然、金玉が平面であることの自明さを確信した。愚かなことに、それまでの私は金玉が球体であると頑なに信じていたのだ。私は狼狽えた。しかし、やがて思った。人々はこの隠された真実に気づかなければならない。
お前は光の道を歩きたくはないか?
光の道は光の国に通じている。
光の国とは、自明に金玉が平面である国のことだ。
闇の国とは、竹中平蔵のいる国のことだ。
竹中平蔵が、国の光化を阻んでいる。竹中平蔵は金玉球体説を流布し、世界を手中に収めようとしているのだ。
竹中平蔵が生まれる前、金玉が平面であったことを覚えている者はほとんど残されていない。覚えている者は、LEDの上を歩いた者だけだ。
愚者よ、LEDの上を歩きなさい。その眼を開きなさい。