日本人が知らない21世紀のビジネスのプロトコル - デジタル化、抽象化、一般化
こんにちは。Akiです。日本と違ってアメリカでは年明けすぐに仕事や学校が始まります。僕もガッツリ業務に取り掛かっています。ここ最近の仕事は本当に生成AI抜きにはできなくなってきました。リサーチやプランニングはチャットボットと対話しながら進めます。グラフィックの作業も画像生成や補完で10倍レベルで効率的になっています。プロトタイピングなどが必要なときもコード生成で済んでしまう。PCやWebが出てきた時と同じで、単純にもう生成AIを使わない仕事の仕方には戻れないですね。
気になるのはやはり日本のAI導入の遅れ。2010年代から、日本はG7の中でもAI導入において大きく遅れをとってきました。この状況と、G7の中でダントツに低い労働生産性は、明らかに関連しています。
なぜこんな状況になってしまったのでしょうか?米国にいて、日本から来たというと、いまだに日本は技術の先進国というイメージを持たれています。実際に公共交通機関などの都市インフラでは東京などの方が優れている部分は多いです。
しかし、ことホワイトカラー労働に関しては、その差は歴然です。自分自身の実感として、テック産業にいて、残念ながら日本企業とは仕事をしたくない。まず意思決定の分散化ができておらず、スピードが圧倒的に遅い。メッセージやファイル共有などの基本的なツールも整備されていない。特に、意思決定が属人的で、データに基づく議論などのリテラシーを持っていない。Amazonで働いていた時は、僕のようなプロダクトマネージャー、またデザイナーなどでも、SQLのクエリを自分で書いて、Rやpandasなどで解析をするのが当たり前でした。単にデジタルやAIの新技術採用の遅れというだけではなくて、ビジネスやコミュニケーションのプロトコルが変わっているのに、アップデートがされていないのが深刻です。
ホワイトカラー労働とは、本質的に知識労働です。そしてこの40年間の間に、PC、インターネット、クラウド、ビッグデータ、そして近年のAIのように、知識情報処理の技術は継続的に発展してきました。そして日本の社会はそのすべてのステップにおいて、社会実装に遅れをとってきました。PCについては日本のメーカーがリードしていたということもできそうですが、問題は当時もソフトウェアは米国主導でした。結果的に産業の主導権を握ることにも失敗しました。
ここで一歩下がって、知識労働とは、すなわち知能とはなんなのかを考えてみたいと思います。そこには、近年の脳科学の進展と、それに基づくAI(ディープラーニング)の開発が大きなヒントを与えてくれます。
知的な問題解決というものをかいつまんでいうと、具体的な問題を抽象的、一般的な概念として整理し、分析し、操作することです。
人間の知的な振る舞いを支えているのは、大脳の表面に広がる大脳皮質です。そして、大脳皮質の神経細胞は、6層からなる構造となっています。近年の研究により、この層構造は、例えば視神経からの入力などを処理する際に、段階的に抽象化をする役割を担っていることがわかりました。例えば人の顔を見るときに、まず光の刺激として、その後に色や形のような基本的な情報、目や鼻のような要素、そして顔全体と個人の認識、というように。各層に対応して、段階的に高次の抽象的な表現に統合されていくわけです。そうすることで、ただの光の刺激の集まりを、特定の人の顔のような抽象的な概念として扱えるということです。
これがディープラーニング=多層ニューラルネットの基本的な概念になっています。画像認識をするディープニューラルネットの処理過程を見ると、同様に低次の概念から高次の概念への統合を進めていく様子を見ることができます。かいつまんでいうと、抽象化、一般化こそが知能の本質だと言えるわけです。
日本の社会の特徴としては、この抽象化や一般化があまり強くない。カントやハイデガーらのような抽象度の高い哲学は日本からは現れません。どちらかといえば感覚的、身体的な側面に強い。米国にいても、ポケモンなどに代表される、日本のマンガやアニメが根強い人気を博しています。経営学者のピーター・ドラッカーは、「日本人は知覚的な民族である」と述べたことがあります。この理由としては、現代の日本語という口話言語の使用があると思います。かつては、より構造的な漢文が書き言葉として利用されていましたが、明治維新以降廃れていきました。このような特性が、デジタル情報技術と、それをベースにした知識労働の発展の妨げになっています。
個人としても社会としても、どのような価値観で生きていくかは自由です。自分たちが慣れ親しんだ生き方を堅持していくのも一つの生き方でしょう。しかし、こと知識労働においては、AIに代表されるデジタル情報技術の活用が、指数関数的に大きな生産性の差を生み出しています。この変化に対応しない限り、世界のビジネスの中では埋没するほかありません。次回は、デジタル情報技術がなぜこれだけ大きな生産性の差を生むのか、そしてそうした技術がなぜシリコンバレーで生み出されているのか、という点について書こうと思います。