民法:債権:債権者代位


左側の債権者に対し、真ん中の人が債務をおっている。
真ん中の人に対し、右の人が債務をおっている。

んで、真ん中の人が無資力(お金がないとか、生活費があるだけで、返済能力は足りないとか)だと、左の人が、真ん中の人の代わりに右の人の債務の取り立てができる。
というのが債権者代位の概念(詳細は省いてあります)。

んで、当然のことですが、真ん中の人がそれなりのお金を持ってる場合、債権者代位は成立しない。

判例とかもありますが、ここらへん、マジで大切だわ。
一般的な生活でもこれ、マジで大切。

給与債権やらなんやらも絡んでくるし。

条文知識とかは専門家に任せて、自分がやった仕事の代金とか貰う方法、ちゃんとあるんだよね。
やらない人も多いってだけで。
(私自身、上司の非常識さに呆れて逃げるのに精一杯だったことがあります。裁判上でも裁判外でも請求できるんですが、そこまでの気力も全部吸い取られてから逃げ出した)

なるほど。

法律的には、「自分のことは自分で責任をとる。責任をとるにはそれなりの備えも必要だし、お金も気力も体力も使い果たしてからじゃなくて、ある程度の余力を残して行動してね」ってのが前提なのね。

きちんとした解説でなくて申し訳ないですが、自分が勉強に当てる時間がほしいので、このへんで今回は失礼しますm(_ _)m


以下蛇足ですが、日本人の美徳に「ちりぎわの花は美しい」ってのがあるけど、私、これ、あんまり好きな表現ではありません。
一番きれいに花が咲いてるのは確かにちりぎわでしょうが、人間の生涯もそれに当てはめるのはやはりおかしいと思うから。
散る時に美しい人生だったと振り返ることはあったとしても、「他人のために死ぬ」とかはやはりおかしな考えだもん。
他人の為になることをやるのは良いことなんだが、死んでいい、死ぬのが美しい、って概念、未だに持てません。
ロシア、ウクライナ問題で、ウクライナの兵士が足りないからどうしよう?ってときも、強制じゃなくて、自発的に義勇兵になることをウクライナの大統領は考えてるらしいけど、それ、死ぬこと前提じゃなくて、国を守るために戦う人を探してる、ってのが実情みたいだから。

なんか、やっぱり、最近の日本に違和感あるのはこの辺。
会社の為に死んでこい、とか平気で言える会社がある事自体、やっぱりおかしいわ。

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