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いよいよ憧れの隠居生活


 この春、中小企業診断士としての最後の顧客契約が終了した。いよいよ憧れの隠居生活だ。
 二十年来の「利酒会」の仲間が十人ほどいる。みんなご隠居さんになった。現役の頃は、役所や会社でそれなりの地位を得て、酔うと「たいらく」を言っていたが、この頃は、盃を傾けながら「野菜作りが楽しい」「自分史を書いている」「自治会の役員で忙しい」などの近況報告、最後はご機嫌で「また会おうな」と別れる。
 一方、女性の友達は、家事や孫、ひ孫の世話まで引き受けて、隠居などしそうにない。
 私は、歳を取ったらお爺さんになろうと思っていたので隠居生活を選ぶ。
まずは見かけから清々しくなろうと、お手本はないが、髪を染めることとメーキャップはやめた。
 隠居といえば、鴨長明。長明の庵は方丈の四畳半。我が家は三LDK のマンション。隠居部屋には広すぎるし、物も詰まっている。これも清々しくする。
 長く働いてきたお陰で、友人、知人には恵まれているが、最近はお別れする人も出てきた。お礼の言葉も言えないまま、それっきりの別れである。親は生きている間は、何となくストレスだったが、今は大切にされていたことしか思い出せない。
 隠居にも役割はあるのか。何かの本に「老人の仕事は、未来のために木を植える事」とあった。良い言葉だ。ふと仰いだ木、そっと寄りかかった木。その一本一本は誰かが私のために植えてくれた木だったのか。宿題にしよう。
 隠居に健康は大事だ。毎朝のラジオ体操、ウオーキングに始まって、登山、テニス、太極拳にエアロビクスと、中学生並みの運動量だ。恥ずかしながら、今が一番体力がある。もちろん明日のことはわからない。
 隠居に旅は付きものだ。長明さんも時々、知人の墓や名所旧跡を訪ね歩いている。好奇心を抑えるのは難しい。この夏はモンゴル国に行った。中国を前に、ロシア国を後ろに置いている国の、今の佇まいのようなものを感じたかったからだ。
 今、企んでいるのは、トルストイを読みながら、シベリア鉄道に乗ってモスクワに入ること、五体投地をしながら、チベットの首都ラサへ入ること。
 隠居とは、この世を一旦離れて、一人旅をすることだと思う。

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