『遺書』 30 ただのミステリならよかったのに……
[前回から続く]
私は夜遅く、実家に帰り着いた。
「遅かったな!」
父親は不機嫌。でも、私が帰って来たのが遅かったからというよりも、別の遠因がある。先ほどまで警察署で取り調べを受けていたらしい。それで余計に苛立っているみたいだ。
そして"事件"について詳細な説明が始まる。
午前中にスーパーに買い物に出かけていた。
帰ってきたら、台所で仰向けになって倒れていて、胸に包丁が刺さっていて、辺りは血の海。
慌てて救急車を呼んで救急隊員が診たときには既に心肺停止の状態。
瞳孔も拡がっていて、しかも、包丁の先端が心臓の辺りにまで届いていて、心臓マッサージをしたら余計に酷くなるだろうから、「諦めてください」と言われた。
警察も来て、現場の確認が始まった。
家のなかは荒らされておらず、キレイな状態。誰かが来た形跡もない。本人が争った様子もない。
鑑識も来て、包丁とか家のなかとか調べていったが、他人の指紋も出てこなかった。包丁にはお母さんだけではなく自分の指紋もついていたが、それは普段から料理して包丁を握っているから当たり前のこと。
「自分で刺したのではないか」ということになった。遺体の首にも傷があったから、自分で最初に首を切りつけて、それでも死ねなかったから胸を刺したのだろう。
飲んでいた薬とかもみんな、警察が持っていった。
お母さんはいま、警察署にいる。解剖にかけられるところだ。
「自殺だ」と残念そうに、落胆している様子で、言う。
第一発見者ということで警察署に呼ばれて、さっきまで話をしていた。父親は説明した。
私は、このストーリーの不自然さにすぐ気づいた。
骨折もしていて歩けず、薬で力も入らず年中ボーッとしている母が、どうやってベッドからキッチンまで行けたのだろうか。
それを言えば父親は、這ってでもいったんだろう、と言う。
本当か?
這っていけば、その通り道が荒れるはず。
ベッドのある和室からキッチンまで真っ直ぐ来ても、リビングダイニングを通る。物が置いてあったり、椅子やテーブルがあったりする。だから跡が残るはず……。
あのヘナヘナな母が、薬の効果にまで打ち勝って、自分で胸の奥深くまで。刺せたのだろうか。
素人に、肋骨の隙間を縫って心臓に届くほど確実に、刺せるのだろうか。その手の知識もなければ調べる余力も残っていなかった、朦朧の母が……。
どうやって、這いつくばっているところから、流し台の中の包丁を取り出して、扉も閉めて、仰向けになって、刺したのだろう?
やっぱり。
ヤバい。
父親の言う、この自殺というストーリーに私も口を合わせた。
「這って行ったんだね」
「そう言えば昔、ベランダから飛び降りようとしたときにも、凄い力だったわ」
触れてはいけない、決して口に出してはいけない……
この男と、口裏を合わせねばならない。
危険だ。
物証がない。
取り調べられても自供しなかったのだから、証拠がない。
警察にもお手上げだろう。自殺の可能性が高い事案を、遺族が求めてもいない、むしろ深入りしないでくれと言うようなものを、わざわざ税金かけて、人手をかけて、徹底的に捜査するだろうか。
――完全犯罪。
フィクションだったらどんなによかっただろう。
ミステリというなかれ。
これは……実話だ。
[次回に続く]
今日は天気が悪いこともあってなおさら体調もよくない。
明日も天気が悪く寒いので、似たようなことになると思う。
今ごろになって凄く寒くなったりとか、今シーズンは特に両極端で、この身体には堪える……😣