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玉川上水の暗渠と江戸の抜け穴
『帝都東京・隠された地下網の秘密[2]』
以前紹介した帝都東京・隠された地下網の秘密の続刊だ。
冒頭を東京の地下網建設の原点を、江戸開発期に求めて話題をちりばめる。
発刊当時、大変興味を引いたのが、東京白山のある屋敷の主人が、地下に書院造りの家を見つけてしまった話。
享保のころのこと、井戸を掘らせてみたところ、かなりの深さまで掘っても水が出ず、井戸掘りが言うには大きな横穴があり、水脈が出てこないのだった。
主人が下りてみると、なんとそこには家がある。中には絵間があり唐紙を開ければ、さらに同じような座敷がある。
これはひょっとしたら御三家絡みの、抜け穴なのではないかと思い、恐ろしくなり堀穴をすぐに埋め戻させたということだ。
ここから江戸城の内堀越し、各徳川家屋敷、または警護者の屋敷に、堀の水の下を通る地下道があったはずだという展開だ。
私自身、以前に岡山城見学をしてみたところ、川の流れを変更して、地下道を造り、その上に堀を築造して水を引いたという、驚くべき江戸時代の土木技術を知ることとなった。
事実上日本の政治の中枢というのみにとどまらず、将軍家の根拠地施設に、緊急避難路がなかったはずはないだろう。
前刊より派手さはないが、そのような事実から推論を展開して、戦中地図の偽装を取り上げたあとに著者が示したのは、占領軍が発行した東京の地図の奇妙さだ。
航空写真をもとに作図されたものだが、なんと当時なかったはずの道路や地下鉄網が示され、わざわざ添え書きには「航空写真に写っていない道路について道幅の正確さを保証しない」旨が書かれているのだという。
しかも戦後そこには地下鉄のトンネルが建設されていることになっているから戦慄する。
前刊に興味をもったのなら、きっと本刊にのめり込むことだろう。旧ハードカバーでも、後に発行した文庫でもしっかり楽しめるのでお薦めだ。
ここから著者の秋庭氏は、テレビ出演や関連本、ムック本を手がけて、当時の衆目を集めたのだった。