読書しない大学生
「読書時間0の大学生が過半数に」
先日、このような調査結果が発表された。
見出しだけ見れば本を読まない大学生が増えたんだなって思う。
私も読まない方の人間だと自覚している。それがいいかどうか別として。
そして、どうやら読まない原因は高校までの読書習慣にあるそうだ。
納得いくようないかないような
自分だけの経験で語るなら、私は小中学生のときの読書量は多かった方だと自負する。
小学生のときは本をたくさん読むと表彰された。賞状が欲しいという不純な動機ではあったものの、その動機のおかげで本をよく読む小学生だったと思う。
中学生のときもそれなりに読んだと思う。バス通学だったからバスを待つ時間や乗っている時間に読んだし、学校ぐるみで読書活動に取り組んでいたから本を読める環境があった。
そして高校生。読書量が一気に減った。スマホを使うようになった、課題が多くて読む時間が確保できなかった、周りがあまり本を読んでいなかった、など言い訳になりそうな材料はある。善し悪しは別として、高校生の私は小中学生のときと違って読書家とは言えなかった。
そして大学生になっても、ついには数年前のような読書習慣を取り戻せなかった。大学の課題や研究に必要な本以外をあまり読まず、年の大半を読書時間0で過ごしている。
これをどう捉えるか。単に読書量が減ったといえばそれまでだが、そうではなく、読む手段も変化したのではないかと思う。なぜなら「文を読む」という行動だけは、本の前でもスマホの前でも変わらないから。そして入ってくる情報量も多い。「活字離れ」が嘆かれているが、活字ってなんだと疑問になって調べてみた。
活字:組み並べて印刷に使う、普通は金属製の字型。現在は、印刷用の文字。(Google調べ)
なるほど、印刷用の文字か。ならば活字離れと言われてもまあ納得できる。
しかし本、活字にこだわる必要ってなんだろう。
あまりに文が長くなってきたからこのテーマは何回かに分けよう。(次回へ)