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幸せであることが感謝の体現

  図書館の新着図書コーナーにあったこの本を、即借りしてしまった。

 かなり立ち直ってるつもりだったんだけど、こういう本に反応するってことは、まだまだ癒されてない問題があるのかもしれないな。アル中DVの父親とはもう、30年近く会ってないので、そもそも生死も不明だったりするけれど。

 まだ序盤しか読めてないけど、元被虐待児が、今、幸せに生きている様子を知れることは、とても幸せなことだと思った。20年くらい前にこの本を読んだとしたら、おそらく

「てめーは幸運だっただけなんだよ! なんだよ! なんで私だけ、こんな不運なんだ!」

 って、心の中でキレまくっていたと思う。親に愛されて、のんびり生きてるような人間は、業火に焼かれて苦しみ抜いて死んでしまえばいいんだ、とわりと本気で思っていたしね。

 生きていればいいこともあるさ、という言葉を聞くたびに、なんて無責任なことを言うんだと、本当に嫌いだったけど。

 「時」というものは、万人に平等に流れている。
 きっと最終的には、誰もが幸せになれる仕組みが「時」の中に織り込まれているのではないか、と今の私は勝手に思っているのだ。

 どのみち生きていかなければならないのならば、そう考えているほうがきっと楽だし幸せだよなって思うから、私はそう考えることにしている。

 59歳の現時点では、この考え方に違和感は発生していない。

 「時」の流れの中でもがいて苦しんだりするのは、もちろん自分自身だし、さけられないことではあるのだろうけど、その先に希望を持つのも、自分自身なのだ。

 どう感じるかは人それぞれだし、また個人の自由だとも思うけれど、私は、私自身は、何度も何度も何度も何度も何度も自殺願望を持ったりしたけれど、今、ここに、生きることができて、本当に幸せだと思っている。

 私が幸せであることが、感謝の体現であり、やはり「時」の中に、万人が幸せになれる仕組みが織り込まれているという証明になるのではないか、と思っている。

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