海外小説より国内小説のほうが好きな理由
海外作家の自己啓発系の本が苦手だ。いくら作家が変わっても、なぜか似たような翻訳になるのは、日本翻訳家協会で何かルールが定められているからなのだろうか(多分違。笑)。
だいたい、主人公(?)に何か問題が起きると、いきなり知らない第三者が登場する。
そうなんだ。この時、俺は耳を疑ったよ! いきなりジェニファーがこう言ってきたのさ。あなたのことなんて、全然魅力的だと思えないわ、とね!
・・・ジェニファーって、誰やねん? とツッコむ余地も与えられないまま、話はどんどん進んでしまう。やたらと「!」が多いのにも疲れる。そしてついてゆけない私は、その本を書架に戻す、と。
苦手なのだが、これらの本のタイトルは実によくできている。今日のように、図書館で背表紙を眺めながら歩いていると、ババン! と目に飛び込んでくるのだ。
思わず手に取る、パラパラとめくる、そして書架に戻す(笑)・・・いい加減学習しろよな、といつも思うのだけど、こういうのもまた図書館の楽しみ方だと思うので、よしとする。
しかし、海外作家の官能小説(笑)を読んだときには、心の底から残念な気持ちになった。
ジェニファーは、ポールを突き立てられて、狂ったように喘いでいた。
ポールて(爆笑)。情緒もクソもありゃしない。
「いけませんわ・・・そんなこと・・・私には、良人がおりますのに・・。」
古い日本の小説に出てくる「良人がいる」いう表現が、なぜか私は大好きなのだ。人妻ではなく、良人がいる女。クソエロいな、と興奮してくる(笑)。
閑話休題。
本日お借りしたのは、こんな本。新着図書のコーナーに置いてあって、タイトルがモロ好みだったので、即借り。
はじめましての作家さんなのだけど、このお名前も好きだわ。寺社建築用語の氏に、豆子という愛らしい名。通して読むと、クスッと笑える。お笑いコンビ「メイプル超合金」の、安藤なつさんを彷彿とさせるが、ドーナツよりも豆が好きな私的には、円堂豆子先生に軍配をあげざるを得ない。(ってそもそも、そんなところで競ってはいない。笑)
あくまで個人的な意見だが、本はやっぱり、和物がおちつく。シンプルに、合うんだろうなぁ。ジェニファーやポール(いや、今回のポールは、人名ではないのだけど。笑)よりも、花子や太郎のほうが好き。
お借りした本の舞台は「神宮とか大社とか呼ばれるような大きな神社、だけど(主人公は)知らない神社」となっている。滋賀県在住の作家さんとのことなので、私の脳内では勝手に「日吉大社」の映像が再生されまくっている。
いざ沼らん、大社の杜へ。
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