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文化財の家


それは竹林に覆われた丘の中途に建つ、築八十年を超える日本家屋だった。
作家・林芙美子が建てた家。新宿区の住宅街に、今も往時の原形を留めたまま残されている。初老の解説員の案内を聞きながら、古民家を外から見学した。

これは、まごうことなく「創作」のための家である。人を招くための豪邸ではない。
心静かに創作するための“質素のための豪華さ”に注意深く気が配られている。

林芙美子はこの家の建築に際し、二百冊もの専門書を読み、大工を連れ立って京都の民家や材木屋を廻ったと説明を受けた。そして、小説「放浪記」で得た印税を注ぎこみ、理想の家を完成させた。だから、気迫に充ちている。気配に充ちている。

気配とは、熱量が横溢した背後に纏われる空気である。加熱されたビーカーからほのかに溢れる水蒸気のように。人は、無色透明のそれを感知する。
(センスのある人には感知できる、と言ったほうが正確だろうか。センスとは、センサーによるセンシティブなセンシングの賜物なので)

「林さんは放浪記という作品をこの家に換え、今では周囲への借景も育む文化財になり、お客を呼ぶ名所として町おこしまでしたのねえ」と妻が驚嘆する。まったくその通りだ。
それはつまり、八十年後の後世を生きる人びとまでが「残したい」と望む家を造ったということだ。林芙美子自身はこの家を建てた十年後に急逝したそうなので、残りの七十年は他人が護ってきた家ということになる。
このままあと半世紀も保存されたなら、ひょっとすると「放浪記」以上に「林芙美子の作品」として世に残るのではないだろうか。

ぼくも自分の家が永く残ることを期待したいものの、それはひとえに自分以外の人が引き継いだときに「残すべきだ」というセンサーが働くかに委ねられている。ぼくが自分で家の面倒を見切れるのも、たかだかあと半世紀にも満たないのだから。


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