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明るい声で暮らせば


妻の声は、いつも明るい。
これは想像以上に大事なことだと、妻と暮らしはじめてから実感している。
人がメッセージを発するとき、「誰が言うか」が最も大事になると思うけれど、「何を言うか」以前に「どう言うか」も大事なのだと思う。

これは、シュミレートしてみると判る。
たとえば、「ああ、つまらない」という言葉を、見知らぬ人が言うか、自分にとって大事な人が言うかで、受け取り方が当然まったく変わる。大事な人がそれを、明るく言うか、暗く言うかでも、受け止め方がまるで異なる。
相手のメッセージを受けるときに、脳は「フォーカスする手がかり」を同時に受け取って聞こうとするからだろう。「つまらない」という言葉を、大事な人が明るく言えば、その明るい方向性で聞いていればよいのだと構えることができる。
こうしたディレクションがなければ、相手の真意を測ることもままならずに自分の価値体系で聞くことになるので、コミュニケーションの齟齬が生じかねない。

人はつまり、相手の話を聞くときに、どういう姿勢で受け止めてほしいかというサジェスチョンも同時にもらえると楽になれるのだ。
たとえば、「これは愚痴だから、黙って聞いてくれたらありがたいけど」と切り出してくれれば、そのつもりで応じることができる。「こんな酷いことがあったから、慰めてほしい」と言われれば、「そうか、一緒に怒るのではなく、慰めるのか」と心構えができる。
話を切り出す手前でなかなかこんな無粋な宣告をすることが気恥ずかしいのは承知の上だけれど、相手に漠然と「察する」能力を期待するよりも、対人関係を穏当に保つには有効な知恵のはずだ。

ちなみに、ネット上の書き込みになると文字情報のみのやりとりになるので、「誰が言うか」「どう言うか」という情報が欠落するので、「何を言うか」が前景化してしまう傾向がある。

余談になるけれど、感情心理学者のアルバート・メラビアンが研究発表した「メラビアンの法則(7-38-55のルール)」は、俗流解釈されてビジネスマナー講座などで誤用されている。
「感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受け止め方について、話の内容などの言語情報が7%、口調などの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合で影響する」といった内容なのだが、「矛盾したメッセージが発せられたとき」という大前提が取り払われ、まるで一般的なコミュニケーションにおける優先順位の論拠のように扱われている。

話が大幅にそれてしまったけれど、妻の声はいつも明るい。
たまたま明るいというのではなく、努めて明るく発声してくれていると思う。単純なことのようだけれど、そのおかげで毎日を上機嫌に健やかに過ごせていることをきちんと覚えておきたい。

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