ジモティーと耐性
妻の旧居にある家財道具を粗大ごみに出すよりも誰かに再利用してもらうほうが気持もよいと思い、ジモティーで無料引取の告知を出してみたけれど、数時間も経たないうちに後悔した。
夥しい数の申込依頼が一挙に舞い込むも、ほとんどが示し合わせたかのような一字一句違わぬ定型文。古物業者だろう。それは構わないとしても、メッセージのやりとりを始めると、文法のおかしな日本語だったり、不意に返信が途絶えたり、受取日時を強要してきたりする。相手のアカウントが過去取引ゼロの新規登録者ならば信用もゼロなので、自ずと警戒心が働く。文字の行き来しかない状況下では、ほんのわずかな違和感も軽視すべきでないだろう。
粗大ごみとして供出すれば数百円の出費になるものの、そのほうがよっぽど気疲れしないように感じてしまった。
数年前は、こうではなかった。
以前ジモティーを介して家財引取の無料募集をしたときは、申込者の多くが一般人だったし、すべての取引を気持よく終えることができたから、ジモティーにはわりと好印象を抱いていた。
何が変わってしまったのか。あるいは、変わってしまったのは自分のほうなのか。
人間関係のストレス耐性が低下していることは否めない。
以前ならば、多少不首尾な古物業者を相手にしてもあえて面白がっていたのかもしれないし、たとえ数百円の出費といえども抑えられるものならば自らの気疲れなど抑えようと無意識に作用していたのかもしれない。
もう一度、どうにか奮起して、“定型文”業者を排除し、相手の取引履歴の評価コメントに目を通し、ようやく条件に合いそうな受け手を見つけ、連絡をとりつけた。