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クリスマスを克服した日


クリスマスが幸せだったことなど、これまでにあったかなと考えている。
子どものころを除くと、まったく難儀でつくづく憂鬱なシーズンだった。

クリスマスの日は、不用意に出かけず、外界の情報も遮断し、クリスマスなど「ないもの」として、自宅で独りでやり過ごすのが常だった。「クリぼっち」の人が自ずとそうしているように。
クリスマスというイベントを憎むほどには拗らせていなかったものの、極力敬して遠ざけたい対象には違いなかった。

今年は、結婚してから初めてのクリスマスイヴを迎えた。
妻と一緒に知人のピアニストのリサイタルに出かけ、その前に会場近くにある白洲次郎の旧邸・武相荘を見学して蔵を改築したレストランで昼食をとった。コンサート後は買い物をして帰宅し、せっかくなのでローストチキンをオーブンで仕上げ、ワインで夕食をとった。そして、夜更けまでゆっくり妻と話をして過ごした。

一応クリスマスらしい夕食をとりはしたものの、特別なことをしたという意識はあまりなかった。お互いに贈り物もしていないし、ケーキも食べていない。サプライズもない。

クリスマスだから幸せに過ごしたのではなく、いつものように幸せに過ごした週末がたまたまクリスマスだった。クリスマスなど「ないもの」として等閑視はしないものの、「あるもの」として特別視もしない。

そのとき、ああ、クリスマスをようやく「克服」できたようだと知った。

クリスマスに限らず、あらゆるイベントに言えると思うけれど、その非日常性に依存して関係強化を図るうちは、じつはやはりどこか脆弱な気がする。地続きの日常に不安があるとイベントに頼りたくなるのも無理はない。

今年のクリスマスは、至って平穏で静かな普通の一日だった。
でも、とても幸せな一日だった。それで十分すぎるほどに上出来だった。


ちなみに余談になるけれど、クリスマスとはイエス・キリストの誕生日ではなく、「生誕を祝う記念日(降誕祭)」であることを初めて知った(実際の誕生日は、諸説あるが不明らしい)。
古代異教の冬至祭(12月22日)からキリスト教の祭事にスライドするため、後世になって設定された恣意的な記念日であることが判っている。そうなるといったい我々はつくづく何を祝っているのだか。


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