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君の声を聴きながら


親の人生を奪ってしまった。と君はいった。
もし私を産んでいなかったら、親はもっと違う人生を歩めたはずなのに。と。

親は子どものために、時間もお金も労力も気力も費やし、懸命に育てる。うまくいかないことも、うまくいったことも含め、子どもはやはり恩を受けている。

恩をもらったなら、いったん預かることにしよう。
そして、恩をつなごう。
親に恩を返すのもよいけれど、次の世代の誰かに恩を受け渡すのでもよい。
力不足でも仕方ない。持てる力で、恩をつなごう。

子どもは、親の世代を超えて生きていく。
親の世代にはできなかったことも、子どもの未来にはできるかもしれない。

亡き父が、中学生のぼくに言ってくれた言葉がある。
「自分の子どもが、自分を超えてくれないと、意味がないよな」
当時のぼくは反抗期に差しかかり父親の存在を疎ましく感じていたし、「お前なんかに俺を超えられてたまるか」といわれるとばかり思っていたので、心底驚いて二の句を継げなかったことを今もよく憶えている。

そうか。
父はぼくに自分を超えてほしがっているのか。
それはいつしか遺言のように残響してぼくの中に留まり、今も通奏低音としてこだましている。

人は、終いに向かい、死に場所を探し求める。
死に場所とは「どこで死ぬか」という場所のことではなく、「これで死ねる」という心の終着点だ。
生きているうちに、残念ながら間に合わない人も多い。

我々はだから、正しく親を見送らなくてはならない。
普段は意識しなくても、別れのときは一日ずつ確実に近づいている。
感謝しながら、恩を預かり、つなごう。
もしぼくたちに子どもが産まれたら、やはり恩をつないでいこう。残りの命をともに使い切ろう。
そしていつか、ぼくは父に言われたその言葉を、子どもに伝えたい。

君の声を聴きながら、そんなことを思っていた。


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