
結婚してよかったことは、話し相手が家にいること
入籍して1ヶ月が経った。
結婚指輪も結婚式もなく、すでに同居もしていたので、入籍を境に日常生活が変わったという意識はあまりない。(妻のほうは姓が変わったので、変更手続に追われて申し訳なく感じている)
結婚してよかったことは、話し相手が家にいることだ。これが一番だと感じる。
ぼくらはよく話し合う夫婦だと思う。仕事後に毎夜5時間くらいは話しているような気もする。
ぼくは妻の話をもっと聞きたい。(根掘り葉掘り詮索したいわけではなく、本人が話してみたいと思うことを気の向くままに話してほしい)
わたしの話をいつも遮らずに最後まで聞いてくれるなんて忍耐強いのね、と妻は言ってくれるけれど、忍耐強いのとも少し違う。好奇心なのだ。
興味深いテーマについて議論するのは好奇心が刺激されて愉しいので、いつまででも続けられる。議論といっても論破することが目的ではもちろんなく、長く時間をかけて奥底にある思いを引き出し合いたい。一緒に水の中に潜ってシンクロしながら、深い水底まで行き着きたい。
他人の話は、たとえ愚痴や武勇伝であっても面白く聞けてしまう。
話の中には、その人の経験と価値観が凝縮されていて、自分とはまるで違う考え方だとしても、なるほどと思うことが多い。(ただし、それが説教にまでなってしまうと少しつらい。「なぜこの人は他人を攻撃せずにいられないのだろう。自信がないのかな」とは思うかもしれない)
「聞き上手」のコツは、キャッチャーがピッチャーのボールを受け取るときにミットをバン!と小気味よく鳴らすこと、と何かのエッセイで読んだことがある。
音を立てずにボールを受け取ることもできるけれど、あえて気持のよい音を出しにいってリズミカルに返球していく。すると、ピッチャーも安心して興が乗ってくる。相槌や合いの手とはそのようなものだろう。
ぼくが妻の話を聞くとき、「きみの話には価値がある」とボールを返したい。
それはとりも直さず「きみには価値がある」と伝えることに他ならない。
話に集中して聞き入っているとき、彼女の存在を肯定しながら静かな交歓を愉しんでいるのかもしれない。
◆関連記事