ショートショート 『風に乗せて』
それは駅のホームのベンチで次に来る電車を待っていた時のことで、夕暮れ時から夜にかけて空が薄暗くなってくる時で、高台にあるそこからは眺めが良く眼下に広がる一本の車道が奥まですーっと見渡せる場所で、ああ、いい空気だなあ、と、その車道に沿うようにして、目の前に両手を伸ばした瞬間のことであった。
ぷしゅっと気の抜けたような音と共に、左手の薬指から煙状のものが飛び出し、それは次第に紙飛行機の形を成しながら、ふわふわとまだ来ぬ電車のレール上を浮遊し始めた。
ホームの端に位置するベンチに一人で座っているとはいえ、ちらほらと乗客は離れた場所で次の電車を待っており、目の前で起こっている超常現象を他人と共有することはできたが、目を離すと消えそうであったので、両手を車道の線に揃えた形のまま、紙飛行機の行方を見守っていた。
何周かレール上を旋回した紙飛行機は、ゆっくりと両手の間に帰還し、煙状の薄い膜のようなものが、紙飛行機の折り目に沿って、一つ一つ分解され、それは四角い一枚の折り紙のようになって、手のひらの間をゆらゆらと浮かび始めた。
壊れないように、吹き飛ばされないように、こちらは手のひらの角度を微調整するくらいで、二,三分そのままの状態が続くと、この異様な状況にも慣れてきたので、その薄い膜を、片手でつついてみると、跡が残ることから、文字や絵を書いてみることにした。
まずはと、真ん中に大きく円を描き、ちょんちょんと、ニコちゃんマークを書いてみると、そのニコちゃんマークが一瞬光を放ち、そのまま、あれよあれよと、そのマークを包み込むように元の紙飛行機の形状に戻り、今度はレール上を浮遊することもなく、風に乗り、眼下に広がる車道に沿うようにして、暗闇の中を飛んでいったのである。
「おいおい超元気でやってそうな気がして」
その翌日に連絡してきたのは、小中高と同じでこちらが東京に行ってからも仲良くしている同級生で、週末に東京で用事があるらしく、少し会えないか、とのメールであった。
週末に、久しぶりに会う親友と、昔話を肴に酒を飲んでいると、ちょっとええか、と急に深刻な顔をして、こちらに姿勢を正した。
「お互い30歳にもなって言う話ちゃうんやけどな、まあお前やから言うわな」
真剣に顔を赤らめながらする話は、多少酔いが回っていたせいでもあったが、何の疑いもなくこちらの奥底まで届き、同じ熱量で先日の紙飛行機の話をした。
親友の健太郎が言うのは、休みの日に田舎のばあちゃんの家に行き、縁側でのんびりしていると、近所の子供達が泥だらけになって遊ぶのが見えて、それに感化され、裸足で庭を歩いていると、地面と土踏まずの間からにょきにょきと煙が現れ、こちらと違うのは、それは紙飛行機とはならず、そのままべっとりと地面に四角く広がり、その枠内を注視していると、ニコちゃんマークから始まり、こちらの近況が写真のスライドショーのようなものとして見えたから連絡して来た、とのことであった。
「昨日めっちゃ酔っ払ったな、また連絡するわな」
二日酔いで頭がガンガンとする昼過ぎに健太郎からメールを受信し、昨夜は強く意気投合し合えたものの、酒の席でというのもあってか、多少気恥ずかしくなり、メールは二,三通交わして終えた。
そこからは健太郎もまたばあちゃん家に行って確認しただろうし、こちらも早急に身支度を済まし、また夕暮れ時を狙って、駅のホームに向かっていた。
結果、辺りが暗くなるまでホームのベンチに座って、先日と同じ動きをしたが、それは現れなかった。
帰り道、満月がはっきりと見える夜空は澄み切っており、夜風がふんわりと金木犀の香りを運んできた。
それらはゆっくり舞うようにして、鼻腔をくるくると駆け上がり上昇していくので、あ、これだ、と今起こっている現象を感覚的に捉えることができた。
そして香りが身体中に染み渡ると同時に、頭の後方にぐるぐると集まりだし、それらを堪能するために頭部が後方に傾き始めると、少し逃げるように香りは後頭部からはみ出し、首から両耳にかけて優しく包み込む形となって、頭部を支えた。
香りを枕に空を眺め見た先にあった満月は、遠目にはまん丸としていたが、よく見ると、六角形の、布のカバーに覆われた牛乳パックの椅子が、ゆっくりと回っていた。
あ、おばあちゃんや、と思いながら、先日の紙飛行機の件もあり、驚くことはあまりなかったが、煙ではなかったので、多様な出現方法があることがわかった。
「だからあんた元気にしとんかいなて、うちが思っとったからやないの」
「ちゃうって、ほんまに昔一緒に作ってたあの牛乳パックの椅子が回ってたんやで」
気になって仕方がなかったので、急遽翌日に有給休暇を取り、週末にかけておばあちゃん家に行って、事の成り行きを話してみるも、返ってくるのは、当たり前や、ということだけであった。
「せやなあ、うちらん時は、寂しいなあ思ったら、山登ったりしたわ」
携帯もSNSもなかった頃は、すぐに誰かに連絡ができる環境ではなかったために、誰かを想って、そして祈り、日々を健やかに過ごしていた、という返事の中には、紙飛行機や牛乳パックの椅子が出現する必要性は全くなかった。
翌月、そんな、元気で話していたおばあちゃんが亡くなった。
東京から大阪へ向かう新幹線の中でおばあちゃんのことをたくさん考えた。
高速に過ぎていく景色の中に、おばあちゃんとの思い出は低速に浮かんでいた。
人が亡くなり、人を想い、悲しみ、慈しむ時間の隙間に、これまた何か現れるかも、と考えてしまう時間が、何か尊いものとは違って、煩悩に塗れているような気がし、いっそ何もかも信じなければよかったとも思った、が、そのおかげで、おばあちゃんに会えたことも確かであった。
結局、この二時間半が当人に思いを馳せることができた貴重な時間であって、現場にいくと、現実に生きる人との交流や式の段取り等を対処していくの時間の方が多かった。
それから数ヶ月が経ち、最初に見た紙飛行機のことも、続けて見た牛乳パックの椅子のことも、信じていた自分をなかったことにし、日々生活をしていた。
しかし、健太郎と分かち合った興奮も、おばあちゃんに諭された教えも、何か掴んだと思ったら全てが一瞬で消えていったことも含めて、自分の中で上手く消化できない気持ちが残っていた。
「こんな時間に書くこととは違いますが、これはどうしても伝えたいことで、」
深夜に真っ暗な部屋のベッドに横たわりながら、過剰に光るスマートフォンの画面に向けて、誰かわかってくれよ、と嘆くような気持ちで、SNSの投稿としての文字を打ち込んでいく。
「まあ結構前の話になるんですけど、あんた、これか、」
カタッカタとゆっくり打ち込まれた、たった数文字は、とても弱々しく、すぐさまベッドから起き上がり、電気を点け、スマートフォンをゆっくりと包み込むようにして見守っていたが、それ以上打ち込まれることはなく、ポタポタと涙が画面に落ちるのみであった。
それから休みの日には山に登ったり、釣りに行くようなことが多くなった。
蟻の行列が文字になっていたり、水面に顔の模様が浮かんでいたり、もうそれらは自分の日常の一部として当たり前のようなものとなってきており、それを機に連絡したり、会いに行ったりするだけであった。
また、こういう現象があり、会ってきました、というような内容を冗談混じりにネット上に投稿すると、予期せぬ久方ぶりの友人から連絡が来たり、自分の想像以上に波動が伝わっていくのがわかった。
「見て、今日やばい」
10年振りに会う友人が話す、仕事のこと、生活のことは、喫茶店に漂う煙草の煙のように、ゆっくりと辺りを包んでは消えていき、全てを理解するのではなく感覚として身体に染み込んだと思えた時、辺りは暗くなっており、友人が外に出ると、突然きゃっきゃと騒ぎ出し指を向ける先には、まん丸で綺麗な満月が浮かび、その日一番の笑顔で照らされた友人の顔は、まるっきり学生時代と同じ表情をしていた。