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ショートショート 『風に乗せて』

それは駅のホームのベンチで次に来る電車を待っていた時のことで、夕暮れ時から夜にかけて空が薄暗くなってくる時で、高台にあるそこからは眺めが良く眼下に広がる一本の車道が奥まですーっと見渡せる場所で、ああ、いい空気だなあ、と、その車道に沿うようにして、目の前に両手を伸ばした瞬間のことであった。 ぷしゅっと気の抜けたような音と共に、左手の薬指から煙状のものが飛び出し、それは次第に紙飛行機の形を成しながら、ふわふわとまだ来ぬ電車のレール上を浮遊し始めた。 ホームの端に位置するベンチ

    • ショートショート 『天井』

      「ちょっと待ってや、今どんくらい」 「たぶん踊り場んとこ着いたで」  僕は後ろから来る斎藤くんを待った。  僕たちは図工の授業で自画像を描くために配られた置き鏡を使って遊ぶことに没頭していた。鏡面を天井に向け、それを自身の鼻に当て、真下の床を見るように鏡を覗き込みながら歩くと、まるで天井の上を歩いているような感覚になる遊びである。  下校時に決まって、帰り道が同じ方向の斎藤くんと手に鏡を持ち、毎度出来るだけ場所を変えながら、校舎内を徘徊し、遠回りしながら帰っていた。  そう

      • 金木犀の味

        ほんのりと香しい金木犀の匂いが日に日に強くなって来た頃には、ポタポタと、もう地面に細かいオレンジの花びらが散ってしまっており、それは桜の儚さとも似るようで。 「はよマクド行きたい、マクド」 大阪の下町にある小さな小さな風呂なしアパートの畳6畳間の一室で宝少年はそう言います。 このアパートというのが、うちのひいおばあちゃんの家で、正月はもちろん、秋のふとん太鼓の祭りがあるときには親戚一同がよう集まってました。 この家には6畳間が、真ん中の襖を境に、2つあるという配置であ

        • 沈黙は金

          ああ、だの、うーん、だの、えーっと、だの、 演劇的手法の一つとして、言葉を活かすために、日常会話における受け答えの間に生じる思考を極力減らし物語を淡々と進めていく、ということは演劇に限らず、色々な分野にて実践されていることは言うまでもありませんが。 「うわ、なんかこの映画(ドラマ等)めちゃくちゃ棒読みやんけ、なんか西洋意識しすぎちゃん」 というのは、例えば、日本において母国語ではない英語における映画や音楽、本にいたるまで、あらゆる分野のものを堪能する際に、大体は聞こえて

        ショートショート 『風に乗せて』

          伝えよう

          「お疲れ様です」 「おう、どうしたんだよ、結婚でもしたか」 「いや、あの、そんなビックニュースではないんすよ」 アメトーークの雨上がり決死隊の解散報告会を観て、2時間という長尺のおかげか、出演者による見事なチームプレーで一つの作品と化してはいたが、要所要所におけるピンと張り詰めた空気というのはこちらの心をグサグサとえぐってくるようで。 思い返すのは、ああ、自分も人様に対してこれまでたくさんの不義理を行ってきたなあ、という反省でいたたまれなくなる気持ちで、画面上に見える

          隔たる世界の2人 (映画感想文)

          「死ね」  休みの日に早く目覚めたのは、さあ今日はなにしようかな、とウキウキとする気分のせいでもあったし、前日にアンドリューと交わしたLINEでのもやもやとしたやり取りのせいでもあった。  ーーーーーーー  アンドリューと出会ったのは、ちょうど10年前のことで、大学の交換留学制度を使って、1年間中国に滞在することになった先での留学生同士の出会いだった。  韓国生まれでアメリカ育ちの彼は、日本に留学経験があり、すでに3カ国語を習得しているのに加えて、さらに中国語にも挑戦

          隔たる世界の2人 (映画感想文)

          それぞれの10年

           ̄ 手にベトベトしたヘアワックスを付けて髪を整える自分が鏡越しに揺れている。 昨日飲み過ぎたかもな、とくらくらと頭痛のように感じられたものは、じわじわと全身に伝わっていき、数秒後にしてようやく地震であることに気がついた。 武蔵小金井、シェアハウス、20歳。 大学2年生の春、長期休暇を使って、テレビで見た芸能界に憧れを抱き、そのまま表面上だけを綺麗にすくって、いまにもこぼれそうな勢いのまま期間限定で上京し、土地感覚もなく、東京から少し離れた中央線沿いの武蔵小金井に、シェア

          それぞれの10年

          湯を沸かすほどの熱い橋

          渡良瀬橋でブォオオオオオオオオオオン夕日を あなたはとても好きだったわ きれいなとこでブゥウウウウウウウウンったね ここに住みたいと言った 栃木県は足利市駅から徒歩一〇分程度、渡良瀬川に架かる中橋を超え、駅とは対岸にある河川敷を歩いて行くと、歩道の隅に 森高千里『渡良瀬橋』 の歌碑がポツンとある。 歌碑の横の電柱には横断歩道を渡る際に押すようなボタンがあり、そのボタンを押すと、頭上にあるスピーカーから『渡良瀬橋』のフルコーラスが流れる。 夕暮れ時に行くと、渡良瀬川の後ろ

          湯を沸かすほどの熱い橋

          のんびりとした新年の名残がほんのりと降り注ぐ太陽の日差しに残る。 わたしは群馬県太田市から埼玉県熊谷市を一本約一時間で結ぶ路線バスの最後部座席の窓側によりかかり、歩道を闊歩する着飾った新成人達の振り袖姿を窓越しに見ていた。 上州のからっ風と言われる、冬場この北関東に吹き荒れる強風が、重厚そうな振り袖の裾から内側の白い生地を露わにし、スプレーで固くまとめた前髪がいとも簡単に後方に舞うようにして顔にぴったりと張り付いた白いマスクを際立たせる、それは上下の白が彼女らの身体を