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長崎の猫は長崎弁を話すらしか

長崎の平和公園に足を運んだ。
まず驚いたのは、空気の澄み渡る静けさだった。

霊が見えるわけではないけれど、私は場所の持つ「気配」のようなものを感じることがある。
この場所の空気は、異様なほど清らかだった。
きっと、世界中の祈りが詰まっているからなのかもしれない。

そんなことを思いながら公園に入っていくと、左手のベンチに一匹の猫が座っていた。
耳がカットされているから、去勢か避妊された地域猫なのだろう。
その猫は、ふっと微笑むように私を見上げた。
「私たちのいる時代はいいね。平和だよね。こうやって、お天気のいい日にベンチでおしゃべりできるんだもんね。」
私はそんな言葉を猫に語りかけた。
すると猫も答えてくれたような気がした。
「そがんたいね。平和たい。
安全かし、ぬくぬくしとるけん、よかよね。」
そんなふうに、のんびりした長崎口調で応えてくれたような気がした。

公園には、海外からの観光客の姿もちらほら見えた。
しばし祈りを捧げ、世界各国から贈られたモニュメントを巡りながら、写真を撮り歩く。
胸の奥から、こみ上げてくるものがあった。

帰宅後、カメラのデータを見て驚いた。
撮った写真のあちこちに、たくさんの虹の光が映り込んでいたのだ。


「ありがとう、そいでよろしくね。」
そんなふうに言われてる気がした。

2025年は、広島・長崎に原爆が投下されてから80年の節目を迎える。
これは偶然ではないのかもしれない。
私なりの形で、この思いを発信していけたら——そう強く思った。

にゃん🐱

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