【ほめ1】あの時人生が始まったなぁって
自分の人生を褒めちぎって、恨みも呪いも褒めて浄化するこの企画『根暗のほめ道』始まりました。正直思い付きである。
私は今でこそ自分のことは好きでも嫌いでもないけれど、根っこの方からめちゃくちゃ性格が暗い。おまけに私の歩んできた人生の展開もかなり暗い。
だからこそ、人生を褒めちぎって面白く捉えることで自分の視界の暗さを改善できたらいいなという希望を込めてこの企画を開始する。
私がこの世に生まれ落ちたのは1992年の11月15日である。
小さく生まれ大きめに育った私はわんぱくで、男の子と勘違いされることが多い元気な子供だった。でも人見知りもすごかった。昔っから内弁慶。
心を許せばおもしれー奴、それは昔から変わらないみたい。
しかし愛着だろうか、発達だろうか、わからないけれど昔から母親にすら甘えない子供でもあったらしい。
そんな感じで間違いなく30年以上前に生まれて人生を始めているわけだが、それとは別に、間違いなく私の人生が始まった瞬間に覚えがある。
2004年10月24日、小学6年生の私は人生を始めた。
新潟県民ならピンと来るかも知れないが、新潟県中越地震の次の日である。
10月23日、震災がやってきた時、私は2階の自室で当時ハマりにハマり込んでいたポルノグラフィティのベストアルバムを何周目かわからないほど聞いていた。流れていた曲は今でも覚えている。『ラック』というダークでめちゃくちゃカッコいい曲だ。
兄が食事の準備を手伝ってくれと部屋に来て、「おー」などと返事をしながら立ち上がった瞬間、地面が揺れ始めた。
慌てて兄と1階に降りると、父親が遠くの病院に入院している母親と電話していて、食器の落ちる音がして、そんな聴覚情報をぼんやり覚えている。
それから父親、兄、私の3人で父の車に避難して、ラジオを聞いて過ごした。
「避難所である小学校に逃げてください」と役場の車がスピーカーで放送しながら巡回する中、人が嫌いな父親は絶対に避難所には行かないと意固地になり、私たちは集落の中3人、ぽつりと車中泊をすることになった。
狭い車の中でよく眠れるはずもなく、私は24日の明け方目を覚ました。
電気が止まっていたので、大好きな音楽は聴けない。家は暗くて漫画も読めない。小学6年生の私は携帯電話も持っていない。
暇なので、何気なく散歩に出た。誰もいない集落を見てみようという好奇心もあった。
道路には明らかに昨日昼は無かったヒビが入ったりしていた。
「おー、すげー」
などと思いながら集落の中を歩く。
集落のはずれに来ると、田んぼの奥の、山のそのまた奥から太陽が昇ってきていた。
その朝焼けの美しさを私はおばあちゃんになっても忘れないと思う。
雲間を突き抜ける太陽の光の線。赤くもあり、白くもあり、まばゆく力いっぱいここを照らさんと燃えていた。
それは誰もいない集落で、世界で一人私だけが見た朝焼けだった。
私はあの瞬間人生を始めた。そう思う。
別に決定的な心境の変化があったわけではない。今になってみると、あの瞬間は確実に私の人生のターニングポイントだったと思うのだ。
あの瞬間の前と、それ以降で私の人生は明らかに違うものになった。
それはいい意味でも、悪い意味でも。
正直父親の避難拒否の判断は一般的に見ればおかしいと思うが、父親を知る私としてはまぁ父親らしいかなと。結果私はあの朝焼けを見られたし、別に気にしていない。
あの景色は心の中の宝物のひとつである。偶然が重なった奇跡の瞬間。
今回は奇跡の瞬間を思い出した感じで終わってしまった。
褒めるってムズカシイネ。
次からは確実に褒めていく。
私の褒めショットは鋭く柔らかいんだぜ(?)。
では、また次回お会い出来たら嬉しいです。