【ほめ6】ぽぽさんとの出会い
自分の人生を褒めちぎって、恨みも呪いも褒めて浄化するこの企画『根暗のほめ道』第6回でございます。
サラッと前回までのあらすじ。
バイトに予備校に、充実した生活をしていた高校生の私。
夏休みのあたりから、家庭内の不和で徐々に精神を蝕まれていく。
人生最大に努力を重ねた私はいつだって世界一輝いてるぜ!
高校2年生の秋、両親の離婚騒動が私の家出放浪事件をきっかけに良くも悪くも……という形で収束した。
収束したとはいっても、家庭内はギスギスしている。
そういった日々を過ごす中で、私の心が徐々に軋み始めた。
スーパーのレジのアルバイトをしていたのだが、お客に睨まれている気がして怖くなり、お客と目を合わせることが出来なくなっていった。
すると自然に接客中に笑うことができなくなった。
次第にアルバイトが辛くなっていき、欠勤が増えた。
欠勤するとき、私は決まって「頭が痛い」と言ったのだが、母はそれを仮病だと見抜いていた。頭が痛いと言って自室にこもる私を「怠け者だ」と責め立てた。本当に痛いのは頭ではなく心だった。
結局アルバイトが続けられなくなった。心が限界だった。
お客が皆私睨んでいる。少しぼうっとすると「死」という文字が頭の中で大きくなったり小さくなったりしながら踊り続けた。
バイトに行けなければ、月謝が払えないので予備校もやめざるを得ない。
2月、予備校もやめた。
そして3月。
学校のオリエンテーションでクラスメイトが私を睨んでいる気がして、「頭が痛い」と保健室に逃げ込んだ。
そこで保健室の椅子に座っていたら、何もしていないのに、嗚咽もなく涙が流れ始めた。虚空を見つめてだらだら涙を流している私を見て、保健医が慌てて担任を呼び、そのまま両親が呼びつけられ精神科に担ぎ込まれた。
病名は「統合失調症」。
妄想、幻聴、幻覚の症状が出ていた。
通信制高校への転校等いろいろ話が出たが、お金がないので1年間休学することになった。
休学生活が始まり、私は両親に一つだけお願いをした。
「モルモットをペットにしたい」
そうして、イングリッシュ三毛モルモットの男の子、ぽぽさんが家にやって来た。私が生まれて初めて迎えたペットだった。
名前の由来は、ぽぽさんが春に家に来たので、春に咲く花「たんぽぽ」から取った。
ぽぽさんは最初はとても怖がっている様子だったが、飼育教本をよく読みながら慎重に接していたら徐々に手から牧草を食べてくれたり、撫でさせてくれたりするようになった。
その内私の足元でごろんと寝てくれたり、抱っこもできたり、ぽぽさんとの交流は間違いなく私の心の癒しになっていった。
しかし、休学して半年は買い物でスーパーに行くこともできない調子だった。ぽぽさん以外の世界中の全てのものが自分の身の安全を脅かすもののように感じ、病院以外はずっと家にこもる生活をしていた。
家にこもって何をしていたかというと、創作活動やブログ運営だった。
日記ブログを書いたり、小説を書いたり、絵も変わらず描いていた。しかし、絵に関しては発想が浮かばなくなってしまい画力が一気に落ち込んだ。恐らくドーパミンを抑える薬の影響だろう。
これは相当にショックだった。現在も未だに高校時代の最も上手かった頃の絵の水準に到達していない。
それから冬頃には徐々に家の外に出ることができるようになり、翌年の4月、私は高校4年生として復学をした。復学した勇気すごい。
2年生が終わるまでに必要な単位は大方履修していたので、4年生は割とゆとりのあるカリキュラムを組むことが出来た。
「一人で高校生活しなきゃいけないなんて可哀想」などと心無い言葉を言ってきた人もいたけれど、実際は4年生の時に新しい友達ができた。今も交流してくれている貴重な友人となった。
4年生の学校生活は安定していたように思う。
しかし、進路のことになると家庭で揉めた。私は大学とまでは言わないからせめて絵の専門学校に行かせてほしいと親に頼んだ。
親は言った。
「高校に4年もかかったお前はもう信用がない。ちゃんと卒業できるとは思えない」
結局私は親を説得することもできず流されるように就職活動をすることになった。内心、2年制の専門学校に通ったとしても卒業する自信があると言い切れない自分がいた。またどこでこの病気が悪くなるかわからない。
私はこの時、初めて大きな挫折を経験した。
私は結局美術大学受験の舞台にも立てなかったし、漫画家なんてもちろんなれなかった。なるだけの情熱が刈り取られてしまった。
それが病気のせいなのか、病気の薬のせいなのか、この大きな挫折感のせいなのか、私をただの一度も肯定しない両親のせいなのか、跳ねのけられない自分の弱さのせいなのか、或いはその全てが絡んだせいなのか。
何にせよこの挫折感は、この先10数年に渡って私を苦しめることになる。
病気になったばかりで、まだこの統合失調症がどう自分の生活を変えるのか、どう付き合っていくのが正解なのか、そういうものが何もわからなかった頃だ。ひたすら病気に振り回された。
最早生きるだけで必死だった。そして、そんな中を生き抜いた。
これを偉業と言わずに何を偉業と言うのだろう。
限界まで頑張った私はすごい。でも、ちょっと頑張り過ぎたのかな? もしも当時の私に会ったら、頭を撫でてずっとお話を聞いてあげたい。きっと私は泣き叫びながらそれを誰かに受け止められ、抱き締められたかったはずだから。
ぽぽさんとの出会いは間違いなく私の人生を変えることになった。
大げさじゃなく、ぽぽさんがいなかったら私は今ここにいないからだ。
ぽぽさんがいなければ、私はこんな風に生きている自分を褒めようなどとは思わなかっただろう。
その辺は、また今度。
では、また次回お会い出来たら嬉しいです。
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