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[短編小説]秋風の中のダンス。

 「おーい!おつかれー!」
 私が声を掛けても、美咲(みさき)は反応することなく鏡の中の自身の姿に集中して踊り続けていた。
 ”ザー‥タンタタタン。シャッ。ジャッジャッ‥”
 スニーカーが地面のコンクリートを鳴らす音が空間に響く。止めるところは止める。リズムに乗るところは乗る。全身で”緩急”を操る美咲のダンスからは、いつも美咲自身の音楽が鳴っているのがわかる。
 私は美咲の後ろに回り込んで、姿身代わりに使われている公民館の大きなガラス窓に映り込みにいった。すると、美咲は私に気付いて動きを止めると、耳の穴に差し込んでいたイヤホンを取り出した。
 「よっ」
 「よっ」
 短く挨拶を交わして、私たちは花壇の縁の部分に腰を下ろす。
 美咲が携帯端末の音楽を切って、鞄の中から飲み物を取り出す。私もここに来る途中で購入したペットボトルのミネラルウォーターを取り出して、中身を少しだけ飲んだ。
 「受験勉強どんなかんじ?」
 「マジやばい。今日はじめて実際に時間計ってテストしたら、全然時間足りなかった。単語集だけ見て単語の暗記ばっかしてたけど、それで勉強した気になってちゃダメだね。実践形式でやらなきゃ。美咲の言ってたとおりだったわ」
 美咲は私の受験勉強の愚痴に対して「まあ、最初から出来る人なんかいないから頑張りなよ」ともっともらしい励ましをくれた。
 美咲はもう進路が決まっている。私にはどういう仕組みなのかわからないが、学校には『推薦入試』というものがあって、推薦入試組の人間はいつの間にか大学進学を決定させていた。一方、私はというと、やはり大方の同級生と同じように、最近になって焦って受験勉強をはじめたのだ。
 二学期になってから、私は学校に居残りで受験勉強した後、この公民館でダンスをしている美咲のもとへ寄って、美咲と話すのがルーティーンになっていた。受験勉強の息抜きも兼ねていたけれど、一番の理由は私が美咲と話したかったからだ。
 「卒業公演、本当に来ないの?」
 「しつこいなー。行かないって。私が行ってもみんな困るでしょう」
 『卒業公演』というのは、私たちダンス部の定期公演の一つで、部活に残った後輩部員が、引退した三年生を送り出す催しだ。毎年和気あいあいと楽しい雰囲気で行われる公演だが、今年は雰囲気がガラッと変わりそうで私もどんな公演になるか気掛かりだった。
 美咲の横顔を覗き見るけど、いつも通り感情が読み取れなかった。
 「アイツも来るんでしょ?」
 「‥うん、多分。というか絶対」
 「じゃあ、尚更行かないよ」
 美咲はあっけらかんと言い放っているが、私の胸中は複雑だった。

 美咲が言う『アイツ』というのは、今年度から学校が招聘したコーチのリイサのことだ。
 今年の一月、今までダンス未経験者の先生が顧問を務めていた部活に学校がリイサを連れてきた。最近では盛んになっているらしいけど、専門的な指導ができる人を学校の部活動に招聘することがあるみたいで、私たちはその大人の決定にただ従うことになった。
 リイサがダンス部のコーチに就任してから、私たちの日常は一変した。
 リイサの指導は一言で言ってしまえば”体育会系”ってかんじだった。”上下関係を重んじ” ”連帯責任を課し” ”指導者の言うことは絶対”という指導で、よく言えば”規律がある”とも言えるが、反対に”時代遅れ”とも捉えられた。
 そんなリイサの指導のもとで、私たちダンス部は大きく変化していった。それまで自由に楽しく踊っていた私たちは、一つの集団となること、決められた振り付けを正確に揃えることを厳しく指導された。
 はじめの頃は、リイサに対して、部内で不満の声も一部上がった。「自分たちは楽しく部活をやりたい」、「自由にダンスをしたいんだ」、と。
 しかし、厳しい指導と練習を経て出場した春のコンテストで入賞を果たしたことで風向きが変わった。
 同級生。親。周りの大人。みんなが私たちに向ける視線が、明らかに好意的になった。『やりがい』とか『自由に楽しく』とか、無邪気な意義は、『結果』の前ではあまりに無力で、あっけなかったりすることをまざまざと見せつけられているようだった。
 けれど、だからといってそれ自体が一概に悪いこととは限らないから難しい。
 単純なもので、褒められれば悪い気はしないし、自分たちの承認欲求をくすぐられる。私たちダンス部は、『結果』によってモチベーションが高まっていったのも事実だ。それからはリイサの厳しい指導も、コンテストで入賞するための振り付けも、私たちにとっては”やりがい”に変化していって、むしろ「厳しくなければ部活じゃない」「みんなで揃えなきゃダンスじゃない」とまで思うようになっていった。
 ただひとり、美咲を除いて。
 私たちが最後の大会に向けて練習を重ねていた七月。美咲はダンス部を辞めた。
 美咲の退部に対して、主に外部の人間から苦言を呈された。「最後まで続けたらいいのに」とか「途中で投げ出すなんて無責任だ」とか、そんな言葉が美咲本人だけではなく、私たちにも聞こえてきた。リイサのコーチ就任に伴って、ダンス部がいかに影響力を持つようになったのかを、その時になってより実感した。
 それだけ美咲の存在感が大きかったとも言える。やはり、美咲は誰から見ても特別な存在なのだ。
 だからこそ、美咲が部活を退部した時、残された部員のみんなは「やっぱりな」とどこか納得する気持ちもあった。
 なぜなら、リイサが作り上げたダンス部は、大会に入選することに特化していたからだ。全員が規律を持ち、動きを揃え、一糸乱れぬパフォーマンスが良しとされる。それ自体は悪いことではない。機械的に統率が取れたダンスパフォーマンスも評価されるべきだし、解釈は人それぞれだ。
 けど、美咲のダンスはそうであってはいけないものだった。美咲のダンスは何にも縛られることない自由なものでなければいけない。
 だから、今のダンス部は美咲のいる場所じゃない。
 みんな、それがわかっていたから、美咲がダンス部を辞める時、何も言えなかった。


 「『水が合わない場所は人を殺す』」
 私の言葉に美咲はキョトンとした顔で私を見返した。
 「何それ?現代文の問題か何か?」
 「違うよ。あの時の美咲を見ててそう思ったんだよね」
 目の前のガラス戸に、私と美咲だけが映っている。その画が、あの頃のレッスン室の私たちとダブる。けれど、あの頃の私たちにはもう戻れない。そのことが、少し寂しく感じる。
 「勝手に殺すな」
 それでも美咲は何でもないかんじで軽口を言って笑うと、勢いをつけて立ち上がった。立ち上がった勢いをそのままに、軽やかにターンをすると、空に手を伸ばすように踊りだした。さっきのリズミカルなダンスじゃなく、風の中を舞う花弁のような浮遊感のあるダンスだ。

 ひらり。ふわり。美咲の身体から空へ繋がっていく糸が見える。

 「私さ‥」
 「ん?」
 「また美咲と踊りたい」
 ダンスの才能があるのにそれを鼻に掛けることがなくて、誰にでも分け隔てなく優しくて、推薦で大学が決まっちゃうような品行方正さがあって、それでいて、泣き言一つ言わない。
 「じゃあ、受験頑張らなきゃね。私の大学、偏差値高いよー」
 美咲が私に発破をかけるように言う。こういう時、美咲は人のことをからかったりしない。ただ、その人のやりたいようにやらせるってかんじで言ってくれる。
 でも、私が欲しいのはそういう言葉ではなくて‥。
 「そうじゃなくってさ!」
 自分でもどうやって伝えたらいいのかわからなくて、ただ視線を美咲に向ける。
 私にとって美咲は特別。
 カッコ良くいてほしくて、誰にでも優しくあってほしくて。でも、そうじゃなくあってほしい。言葉で言い表せない不思議だ。
 美咲は踊るのを止めると、私の前に歩み寄って手を差し出した。その動きも振り付けのようにしなやかな動きでかっこいい。
 「いつでもどうぞ、お嬢さん」
 紳士のような振る舞いを見せて戯る美咲に、今日も私の気持ちは届かない。
 私にとって美咲は特別。代わりなんていない。
 けれど、美咲にとっての私は違う。美咲は誰も特別にしない。そういう人。
 私は美咲の差し出した手に自分の手を重ねて、立ち上がる。美咲が私の手を引いて踊りだすから、私もつられるように足が動く。
 私たちの間を風が通り抜けて街路樹の赤い葉っぱが揺れた。季節はずれの秋の空気と冬の冷たい風が混ざり合う音がする。美咲と繋いだ手の温度がやけに鮮明に感じられて、何だか恥ずかしい。
 こんなの、まるで映画の中の青春みたいだ。
 そう思ったことは、目の前の美咲にも、他の誰にも、きっとこの先言うことはない。


終わり。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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