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十一月はデビュー前のレッスン室で。後編(短編)

 疲れた。最近は、部屋に帰ってくるとそのまま座り込んで、ぼーっとしてしまう。着替えたり、お風呂を沸かしたり、やらなきゃいけないことがあるのだけれども、どれも億劫で仕方ない。今日も慣れない事ばかりで大変だった。衣装合わせや番組収録、SNS用の動画撮影など、アイドルの仕事は多種に及ぶ。先輩や他のアイドルは、どうやってプライベートの時間を作っているのだろう?不思議に思う。
 今朝の出来事を思い出す。村山さんとレッスン室で、言い合いになった。あの後、少しだけ新曲の練習をしたが、身が入らなかった。
 村山さんが言っていた通り、私は”甘い”のだろうか。
 子どもの頃から密かに憧れ続けていたアイドル。誰かの光になったりするようなキラキラする存在。引っ込み思案な私にして、いや、だからこそかもしれない、「いつかはあんな風になりたい」と思わされてきた。
 だから、思い切って、最後のチャンスと思って、オーディションを受けて、今では、あのコハビヨのメンバーの一員になっている。
 それでも、アイドルになってみたらなってみたで、正直しんどい事ばかりだ。キラキラしているのは表側だけで、裏側では、常に大人が展開するビジネスの影が濃く映る”現実”だらけだ。その影に飲み込まれないように、必死の毎日だ。

 ”辞めたい”

 頭の中で、何度も、言葉が浮かんで、感情が膨らんで、破裂しそうだった。

 ブーブー、と携帯電話が鳴った。確認すると、高校の同級生からのメッセージが届いていた。今や私は芸能活動に融通が利く学校に転校したので、正確には、彼女は元同級生ということになる。
 彼女からは、時々、学校の近況報告が届く。「校庭に犬が入ってきた」だとか「体育祭、だるい」だとか、淡白な内容のメッセージが写真や動画付きで送られてきたりする。彼女が何を思って、このようなメッセージを送ってくるのか知らないが、その着飾らないメッセージは、いつの間にか私にとって癒しになっていた。今では、前の高校の人の中で連絡を取っている唯一の存在だ。
 だから、私も彼女とのやり取りには、何気ない日常を報告するように心掛けている。「いい天気だった」とか「パンがおいしかった」とか、そんなことを伝えている。そこには、自分の言動が、芸能人やアイドルだからといった鼻につく表現はしないように、という気遣いもあった。
 しかし、今日だけは、彼女に話を聞いてもらいたい、と思ってしまった。携帯端末を操作し、メッセージを打ち込む。
 「やめたい」
 文字を打ったあと、一度逡巡する。そして、えいや、と送信してしまった。
 メッセージを送ると、急に居ても立ってもいられなくなって、お風呂に向かった。どうしよう、送っちゃった。とりあえずお風呂にお湯を入れる。どうしよう、もうメッセージのやり取りができなくなるかもしれない。やっぱり取り消そう、今ならまだ間に合うかもしれない。
 リビングに急いで引き返し、携帯端末を拾い上げる。すると、再び着信を知らせるように、端末が振動した。画面を見ると、彼女からのメッセージでひとまず安心する。アプリを起動してメッセージを確認すると、動画サイトのリンクが添付されていて、一言「見ろ」と記されている。私は促されるままに、リンク先に移動し、動画を再生した。
 画面には、青空の下、多くの生徒の前に、今にもピアノを弾き始めようとしている男子生徒が映し出された。
 動画のタイトル欄には『元天才ピアノ少年が文化祭で本気出してみた』と書いてあった。



 「お早うございます!」早朝のレッスン室に私の声が反響した。予想通り今日も部屋の中にいた村山さんが、ビクッと驚いたように反応したが、私の姿を確認すると、敢えて無視するように、ストレッチを再開した。
 今日は負けないんだから。私が意気込んで入室し、ズンズン歩いて近づくと、村山さんが何事かと身構えた。
 「村山さん!私と一緒にダンスの練習してください!」と私は勢いよく頭を下げた。
 しかし、返答がなかったので、顔を上げると、村山さんは不満を言い出さんばかりの表情をしていたので、焦る。
 「いや、あの、私もがんばりたいと思って。でも、私一人じゃ何もできないから。昨日、村山さんに言われた通りだったかも、というか、そうかもしれないというか」
 「”そうかも”?」
 「何をやるにも、自分がなくて流されて生きてきて。どうしようって手をこまねいていたら、誰かが助けてくれて、そうやって周りの人に甘えてた」
 言葉が上手く出てこなくて、でも伝えたくて、何とか話す。そんな中でも、感情が高ぶっていく自分、というものが客観的にわかっていくという、変な心地がした。
 「つまり、何が言いたいわけ?」と村山さんが不機嫌そうに言う。
 私が”言いたいこと”。ずっと心の中につっかえていた思い。
 「私、強くなりたい! 舐められて、馬鹿にされて、『私はどうしてこんなに駄目なんだろう』って、下を向いて生きるようなことしたくない」
 あっ、また涙と鼻水が出てきてしまった。でも、自分を止められない。
 「『清井には無理でしょ?』『清井だから仕方ないよね』とか、見くびられるたびに、本当はずっと居心地悪くって。だから、私、変わりたくて、間に合うかわからないけど、今からでも頑張りたい!」
 だから、「お願いします。私にダンスを教えてください」と再び頭を下げる。
 言えた!言ってやったぞ! また、何か言われるんじゃないかと怖かったが、そんなことよりも、私は身体中に広がっていく充実感を噛み締めることに注力していた。
 すると「なんで私なの?」とぶっきらぼうな声が降ってきたので、顔を上げる。村山さんは居心地の悪そうな表情で、私の視線から逃れるようにそっっぽを向いていた。
 「村山さん、真っ直ぐだから。意地悪したり、威張りたくて物を言う人じゃないでしょ?」と私が言うと、村山さんは少し眉を動かすと、ますます居心地悪そうな顔をした。
 「うるさいよ。人のことを知った風に言うな」
 「すみません」
 レッスン室には私が鼻を啜る音だけが広がっていた。私は、恥ずかしくなって、鞄の中からティッシュを取り出すためにしゃがみこむ。すると、頭の上から「私は、振付師でもダンサーでもないから」と声が降ってきた。
 思わず、顔を上げる。村山さんの声から、刺々しい雰囲気が消えた気がしたから。
 「だから、教えるとか教えないとか、ない。私もシロートだからさ」と村山さんは言った。
 そして「だから‥まだ間に合うよ。あんたも」と続けたあと、舌打ちをして「またアイツの言葉が出ちまったよ」と一人、悔しそうにしていた。
 「じゃあ、いっしょにやっていいの?」
 「まあ、私のジャマさえしなければ」と相変わらずぶっきらぼうに言うのだけれども、その言葉には以前ほどの冷たさを感じなかった。
 「どういう風の吹き回し?何があったの?」
 「同級生の男の子の、ピアノを聴いて。何だか、私もがんばらなきゃって、そう思っちゃって」
 理由を口に出してみると、あまりにも単純な自分が何だか小っ恥ずかしい。でも、ありきたりな言葉だけど、音楽には人を動かす力がある、と思わされた。彼のピアノにはそんな特別な何かがあった気がした。
 「‥‥彼氏バレとか、つまらないことで辞めんなよ」
 「そんなんじゃないから!ただの元同級生だよ!」
 なぜだか、恥ずかしくなって思っているよりも大きめに否定する。彼とは一度だけ、駅のホームでしか話したことがない。
 「そんなことより、すぐ準備するね!」と私は急いでレッスン着に着替えることにした。気持ちが高揚する。自分が生まれ変わったみたいに、すっきりしていた。今目の前のことの全てに、新鮮さを感じる。何だか楽しい。
 「ところでさ、あんたってそのかんじでよくオーディション受けられたね」
 「実は知り合いの女の子が受けるって言ってて。『心細い』からって、私連れて行かれたんだ。でも本当は私も一人で受けるの勇気がなくって、ラッキーで。でも、その女の子は落ちちゃって、私だけ受かっちゃったんだよね」と早口で、ありのままを答えると、村山さんはわかりやすく不機嫌になっていって「私、やっぱり帰る」と荷物をまとめだした。
 「えっ?」
 「やっぱり、あんたスゲーむかつくわ」と言うと、彼女は出口へ向かって歩き出した。
 私はそんな村山さんの服の袖を、必死に引っ張って引き止める。


to be continued...


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