[短編小説]エイプリルフールは繰り返す。
『桜が綺麗だから一緒に見に行かない?』
君からのメッセージが携帯端末に届いた時、待ち構えていたにも関わらず、私の胸は高鳴った。
今日も君に会える。心が弾んだ。
私は急いで身だしなみを整える。今日も君に”可愛い”と思われたいから。
自分の部屋を出て、玄関から母親に、お出かけする旨を伝える。母親が何か言い返してきたけど、聞き流して家を出た。
Side:茉央(まお)
時刻は午後五時を回っていた。駅からの道を歩いて公園にたどり着くと、満開の桜が私たちを迎えてくれた。春になると、この公園は市内の人が集まる桜の名所となる。私と奈央(なお)にとってもこの公園は、高校生の頃から二人で談笑する特別な場所だ。大学生になった現在でも、何かお話したいことができた時に、私たちはこの場所で落ち合っていた。
私たちは、駅前のカフェで購入したさくらフレーバーのドリンクを片手に、等間隔に並んだベンチの、空いてる席に腰掛けた。
「それで?ちゃんと別れられたの?」
ベンチに腰を下ろすや否や、奈央が身を乗り出して私に聞いてきた。
「大丈夫だって!奈央にもずっと相談してたし、初めての彼氏の時みたいに泣いたりしないよー。今回で三回目の失恋だしね。慣れたもんだよ。ちゃんと今回の彼氏にはビシッと言ってやりましたから。『浮気する男の人なんて無理!』って」
私がわざとらしく胸を張って言うと、奈央は安堵したようだった。私もその様子を見て、肩の荷が下りる。
「結局また浮気されてた。奈央の言う通りだった。ちょっと問い詰めたらボロが出てさ」
私が愚痴をこぼすと、奈央の眉が下がり、困り顔になっていく。奈央は手を伸ばして私の背中を摩ってくれた。スプリングコートの上からでも感じる優しい手のぬくもりに、ささくれた気持ちが解けていく。
「私ってほんと男運ないなー」
こんなセリフ、ドラマの中の人が言うやつみたいで、自分で言ってちょっと笑えた。呆れて笑えるくらいに、今回の失恋には余裕があった。
『人は”慣れしまう生き物”だ』
私が三度の失恋を経て学んだことだ。どんな出来事も経験してしまえば、新鮮味がなくなり、ただの『パターン』になる。事、恋愛においてもそれは例外ではない。女の子にとって最初の失恋は”世界の終わり”みたいなショックを受けるものだけど、何度か経験すればその衝撃にも慣れていく。段々と恋愛の理想みたいなものに折り合いが付いてくる。
だから、私ももう失恋で深く傷ついたりはしない。ただ、あえなく終わった恋愛関係に、残念な気持ちになって、少し落ち込むくらいだ。
「みんな茉央が優しいから甘えてるんだよ。『浮気しても許してくれるだろう』って。だから茉央が悪いわけじゃないよ」
奈央がいつものように私を励ましてくれる。話を聞いてもらえるだけで、だいぶ心が楽になる。やはり、持つべきものは親友だ。
奈央とは、高校に入学した時に出会った。同じクラスになって「"奈央"と”茉央”って一文字違いだね」というどうでもいい会話からはじまり、いつの間にか、仲良くなって、親友になった。肩まで伸びるストレートのミディアムヘアーに、笑うとタレ目になるところが可愛らしい奈央は、はじめて会った時から印象が変わらず、”おっとり系”の女の子だ。家族や友人から”のんびり屋”と称される私と波長が合っていて、お互いに違う大学に行くようになった今でも、関係は続いている。
奈央とは何でもない話をして過ごすことが多かったけれども、今日みたいに私の恋の悩みを聞いてもらうこともあった。高二の時に出来たはじめての彼氏。大学生になったばかりの時に付き合ったサークルの先輩。そして今回のバイト先の先輩。私の恋愛相談に乗ってくれて、私を慰めてくれた。
「ありがとう。話を聞いてもらったら、気持ちが楽になった。ごめんね、いつも私の話ばっかり聞いてもらって」
私の感謝の言葉に、奈央はいつものように目を細めて笑ってくれる。この笑顔が近くにあれば、失恋の痛みなんて何でもない。
「どういたしまして」
奈央が私に応えた後、私たちは示し合わせたようにドリンクを口に運んだ。目の前を通り過ぎる人たちが、何やら小競り合いをしながら、私たちの前を横切っていく。桜の木が風に揺らされ、花びらが舞い落ちてきた。
「奈央」と私が呼びかけると、
「うん?」と奈央が応えてくれる。
「いつも私の味方でいてくれて、ありがとね」
春の空気に浮かされて、ほんわかした気持ちになった。こんな時間がずっと続いたらいいな、と思った。今年は就活に卒論制作に忙しくなりそうだ。奈央とこういう風にのんびりお茶する機会も減ってしまうかもしれない。
「‥そんなの当たり前じゃん。だって、茉央は私の大事な親友だもん」
奈央の言葉が染み入って、私の心を満足させる。私は春の真ん中に居ることを感じていた。
Side:奈央(なお)
茉央の屈託のない笑顔にチクチクと罪悪感がわいた。私は茉央から目を逸らすと、小さく息を吐いて、気持ちを整える。
私は嘘を吐いている。
私は茉央の味方なんかじゃない。
親友のフリをしながら、今回も茉央の恋愛関係を潰した。
茉央とは高校一年の時に出会って友達になった。同じ時間を過ごしていくうちに、私は茉央の可愛らしさに惹かれ、好きになった。もちろん、恋愛という意味での”好き”だ。
私たちが高二の時、茉央にはじめての彼氏が出来た。
私は、高校の中で茉央と一番仲が良いという自負があったためか、どこかで淡い期待を寄せていた。しかし、そんな虫のいい話はなく、茉央の恋愛対象は男の子で、自分は茉央の”対象外”であるという現実に、私はショックを受けた。彼氏ができて、幸せそうにしている茉央を見ていると、次第に私の中で嫉妬の感情がわき上がった。
だから、私は茉央の恋愛関係を壊すことにした。茉央の幸せを願わないわけではない。ただ、茉央が誰かのものになることだけは耐えられなかった。
人間関係を壊すことは簡単だ。特に男女の仲を裂くことは、とりわけ容易だ。
高二の時の茉央の彼氏は、一学年上の先輩で、女子生徒に人気がある人だった。そのため、茉央と先輩の交際を快く思っていない女子がいることを利用することにした。
私は茉央に隠れて、複数の女子生徒を唆した。
「先輩が卒業してしまえば二度と会えないかもしれないんですよ?」
「学生時代は一度きり。想いを伝えなくていいの?」
「彼女がいたって関係ないです。想いを伝えなきゃ一生後悔しますよ?」
”青春の熱”に絆された女の子というのは無鉄砲なもので、私の含みを持た せた言葉に簡単に踊ってくれた。私の言葉に刺激された何人かの女子生徒は、茉央の彼氏にアプローチをはじめ、程なくして、先輩は同じ三年の女子生徒にあっさりと乗り換え、茉央は失恋することになった。
二番目の彼氏である大学一年生の時のサークルの先輩。今回の三番目の彼氏であるバイト先の先輩。彼らはもっと簡単だった。裏で手を回して、他大学との交流会や友人との食事会など、茉央の彼氏がいる場所に『女』を手配した。『男』、『女』、『お酒』が揃うと、後は彼らは勝手によろしくヤってくれる。私がそれほど労を取る必要はなかった。彼らは性欲を満たすことができれば”誰でもいい”のだ。
そんな奴らに、茉央は渡さない。絶対に渡したくない、と思った。
だから、私は茉央の恋愛関係を潰す。そうすることで、私は心の平穏を保つことができた。
しかし、最近は自分の行いに虚しさを感じることもある。
私は、このままでいいのだろうか?
茉央の恋愛を潰しても、茉央が私のものになるわけじゃない。それに、この嘘がバレた時に、きっと私は茉央との友達関係を失う。その代償を考えると、自分のやっていることに疑念を覚えてしまうことがあった。
茉央の頭の越しに視線を向けると、先ほど私たちの前を通り過ぎていった、職業不定の三人の男たちが公園の入口からこちらに引き返してくるのが見えた。男たちはヘラヘラしながらこちらを見ている。会話がはっきり聞こえるわけではないけれど、何を言っているのかはわかった。
「お前、どっちがタイプ?」
「オレは右」
「マジで?オレは左だわ!」
男たちが、私たちを”品定め”していることが見て取れた。
お前たちが茉央をそんな目で見るな!心に微かな殺意がわいた。
「奈央?」
茉央が私の様子の違和感に気付いて声を掛けてくれる。心配そうに小首を傾げる仕草まで可愛いらしい。私以外の人にもこういう顔を見せているのだろうか、と嫉妬でお腹の真ん中がきゅっとなった。
茉央のそばで男たちが立ち止まり、今にも私たちに声を掛けようとした時だった。
私は茉央の手を取って立ち上がる。茉央はドリンクをこぼさないように焦りながら、私に釣られて立ち上がった。
「茉央。行こ?」
茉央は「うぇ、えっ?」と驚きながら、ずり下がったリュックのショルダーを肩にかけ直し、私が手を引く方へ付いてくる。
男たちは、急に立ち上がった私たちに虚を突かれてその場で立ち尽くしていた。その横を、私は茉央の手を引きながら早足ですり抜ける。そのまま花見をしている人たちがいる園内を進んだ。少し距離を取ったところで振り返ると、男たちは「獲物を逃した!」と言わんばかりに悪態をついているみたいだった。汚らわしい、と思った。
「奈央?どうしたの?」
茉央が困り顔で尋ねてくる。
「‥あっちの方の桜も綺麗だって聞いてたから、茉央と見たくって」
私は茉央を安心させるために笑顔を作って取り繕う。
「なんだ、そういうことか」
茉央の屈託のない笑顔を見て、私は胸をなでおろした。さっきの男たちには気付かなかったみたいだ。
すると、今度は茉央が私の手を引いて、前を歩き出した。
私の身体が茉央に引っ張られる。手を繋ぎながら歩く私たちに、すれ違う通行人が訝しげな視線を送ってくる。
「茉央?もう、手、離していいよ?」と私が呼びかけると、茉央は振り返って、笑って言ってくる。
「奈央が先に繋いできたんじゃん? ほら、行こ?」
はにかんだように笑った茉央が、眩しくて、涙が出そうになる。私の気持ちなんて知りもせずに、この人はこうやって私の気持ちを掴んで離さない。嬉しいのに哀しいみたいな複雑な心情だ。
「私たち、もう二十一歳だよ?」 私が呆れたふうを装って言うと、「関係ないよ!私たち友達でしょ?」と茉央がこちらを振り返って無邪気に返してくる。
風が吹いて桜の木が、サワサワ、と揺れる。その音が周囲の雑音を遠ざけていく。まるで世界に私たちしかいないみたいに錯覚する。私は茉央の手を握り返した。”親友の距離”くらいの握力を意識して。
今日もまた、私は嘘を重ねた。
終わり。
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