九月のお節介が君の背中を押して。(短編)
”夏休み明けは注意が必要だ”。
学生が学校に来なくなることがあるからだ。
学校生活に馴染めないだとか、元々集団行動が苦手だとか、これは考えたくもないが、仲間はずれやイジメにあっていて、そのままフェードアウトするように学校を辞める学生がいるらしい。
周囲の人間は、子供の機微に目を配り、気にかけてあげることが大切なのだ、と聞いたことがある。
だからというわけではないが、思いつめた表情で、何本も電車を見送る彼女が気になってしまった。
彼女は同じクラスの、清井桜子さん‥‥だった気がする。
というのも、入学してから、クラスのホームルームで自己紹介をさせられた時以来、彼女がしゃべるのを見たことがないからだ。
清井桜子はクラスの中で目立たない存在だった。
彼女は、常に女子の中で浮かないよう振舞っていた。ノリのいいグループの言動にぎこちない笑顔で応対し、大人しめのグループの女子とお昼ご飯を食べていたりする。さらに余計な反感を買わないように男子生徒との接触を避けているようにも見えた。授業中、教師に指されても、テンパってしまい「あの‥その‥」と消え入りそうな声で応えるのが精一杯で、むしろみんなが少し心配になるくらいの、恥ずかしがり屋の女の子といったかんじの女子生徒だった。
そんな清井さんが、新学期早々、思い詰めた表情をして、駅のホームに立ちすくんでいた。
正直、このまま放っておいて学校に行くのは気が引けるというか。もしこのまま彼女が学校に来なくなると思うと‥‥寝覚めが悪くなるような気がするというか。
僕は頭の中でいろいろ考えた結果、見て見ぬふりをしてこの場を去ってしまうのは、今後に禍根を残すことになる気がしたので、ホームから人がいなくなったタイミングで声をかけた。
「あの、大丈夫?」
「えっ!あっ!‥はい?」
「同じクラスの、清井さんだよね?」
「俺のことなんかわからないか」と照れを誤魔化すために自虐的に話しかけると、一瞬間があってから、清井さんは声を発さないかわりに、ブンブンと首を横に振って否定の意を示した。どうやら一応クラスメイトとして認知はされているようだ。少し安心する。
「いや、さっきからずっと電車見送ってるからさ。体調でも悪いのかなって思って、声かけたんだけど。大丈夫?」
清井さんは僕と視線を合わせないようにして、おずおずと頷いた。
いや、大丈夫じゃないだろ。しかし、本人が問題ないというからには、これ以上の深入りはできない。
「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥」
気まずい。駅のホームに高校生の男女が2人。客観的に見ると浮き足立ちそうなシチュエーションだが、当人たちはそれどころではない。実際気まずさが勝っていた。このまま立ち去るのもどうなんだ?一応同じクラスだし、このまま一緒に登校する?いやでも‥‥と逡巡しながら横目で清井さんの様子を窺うと、清井さんは携帯電話を取り出してしきりに時間を気にしている。心なしか先程よりも、戸惑いを深め、混迷しているように見える。
そして彼女は携帯電話を制服の内ポケットに仕舞った後、肩にかけた鞄の持ち手を、両手でぎゅっと握った。
ああ、そうか。”大丈夫?”と聞かれて”大丈夫”と応えられない人もいるよな、と思った。
「数年前、ある男の子がピアノをやめた」
僕の言葉に、清井さんは自分の世界から戻ってくると、漸く僕に意識を向けてくれた。
「男の子は、音楽一家の下に生まれ、ピアノの英才教育を受けて育った。漢字や掛け算を覚える前から、ショパンやブラームスの楽譜を朝から晩まで繰り返し演奏し続けた」
「あの‥」
「男の子は全てを犠牲にして、音楽に没頭した。コンクールに出れば必ず一位入賞。いつの間にか同じ世代でその男の子に敵う人はいなくなっていたくらいだった」
僕は清井さんの呼びかけに応えず話を続ける。
「そしてある日、男の子がコンクールに出場して演奏し終えた後、事件が起こった。別の子どもが演奏を拒否したんだ。その子どもは、男の子の後に演奏するのが嫌だったんだろうね。それだけなら別によかった。でもその子どもは、コンクールを欠場するために‥自分の手をペンで刺そうとした」
清井さんは僕の話に表情をしかめた。
「大丈夫。その子どもは母親に抱きしめられて、思い止まった。ただ、その後、その子はどのコンクールにも姿を現さなかった。その時、男の子は周りの大人に言われた。『これが音楽の世界だから仕方ない』って。男の子はそのことにショックを受けた。自分が演奏することで、他の人の”音楽”が”夢”が”誉れ”が潰えていくのを、何度も目の当たりにした」
自分の声に感情が込もってしまうのを何とか堪え、言葉を紡ぐ。
「ほどなくして、男の子はピアノをやめたよ。自分の演奏が誰かを不幸にしていると思ったら、耐えられなかった。それから男の子は”普通”の学校生活を送るようになっていった」
「でも‥」と言葉を切って一度呼吸をした。
清井さんは、僕の一人語りを真剣に聞いてくれていた。優しい子だな、と思った。
「ずっと頭の中はモヤモヤしていた。
『これでよかったのか?』
『このままでいいのか?』って。
男の子はピアノをやめたことを、後悔しているんだと思っていたんだ。でも、ある時気づいた。男の子はただ”自分を責めているだけ”だったんだって。
『なんで、しがみついてでも続けなかったの?』
『厳しい練習から逃げ出したかっただけじゃないの?』
自分を責める声が、自分を追い詰めていることに気づいたんだ」
清井さんを見ると、彼女も僕を見ていた。はじめて視線が合う。
「君が、現在、何かに迷っていて、何を選ぶのか、僕が強制することはできない。それは清井さんの”選択”だから。でも一つだけ覚えていてほしい。
学校に行っても行かなくても、後悔するかもしれないし、しないかもしれない。ただ、自分のことを責めないでほしい。”自己否定は、自らにかける無益な呪い”だから」
ピンポンパンポン! 続いて一番ホームに入ってくる電車は‥‥
駅のアナウンスが流れ出す。周りを見渡せばわらわらと学生やサラリーマンがホームに広がってきているのが見えた。
「ごめん!めっちゃ一人で語って、キモいね、忘れて!」
さっさと離れなければ。その場から逃げ出すように踵を返す。
「あのっ!!」
清井さんの甘く女の子らしい声が僕を呼び止める。こんなに大きな声が出せるんだ、と思った。
「その男の子は、どうなったんですか?」
清井さんは身体ごと僕に向き直って聞いてきた。あっ、この子に話してよかったと思った。
「‥またピアノを弾きはじめたよ。ブランクがあるからあの頃よりも、ヘタになってたけど、今度は音楽を、心の底から楽しんでる」
清井さんは、僕の言葉に安心したように大きく息を吐いた。僕はそれがどこか気恥ずかしくって、彼女から視線を逸らした。
サラリーマンが携帯電話を操作しながら、僕の横を通り過ぎていく。辺りを見回すと人が集まってきていた。線路の向こうから電車がやってくる。
「‥‥じゃあ、また」
二人でいるところを同級生に見られると困る、とその場からそそくさと立ち去ろうとする。
「あっ!」清井さんは周りの目を気にしながらも、僕を再び呼び止めて、手が届くほどの距離まで近づいてきた。
「?」
「‥ありがとう、卯美くん。‥いつか、ピアノ聴かせてね?」
清井さんはそう言うと、微笑んで、控えめに小さく手を振った。
僕はぎこちなく手を挙げて応えると、急いでホームの反対側に向かって足を踏み出した。
顔が熱くなっていく。清井さんの笑顔の破壊力、ヤバイな。
ホームに入ってきた電車に人が吸い込まれていく。電車に乗り込む同じ制服を着た生徒たちが「乗らないの?」と怪訝な表情で僕を見ているのがなんとなくわかった。ドアが閉まって、電車が離れていった。
顔を上げて、振り返ると、さっきまでの場所に清井さんの姿はなかった。
登校時間を大きくすぎて自分の教室に到着した時、廊下に人だかりが出来ていた。彼らはどういうわけか、うちのクラスの教室に集まって賑わっていた。その人だかりをかき分けて入室すると、クラスメイトたちはさらに騒がしい様子で「スゲー!」だの「カワイイー!」だの声を上げていた。
一体何事だ?と思いながら、自分の席に着く。教室の時計を確認する。今くらいなら全校集会が終わって、ホームルームの時間といったところだろうと踏んでいたのだけれども、どうやら担任の先生は教室にいないみたいだ。隣の席のクラスメイトが僕に気付いて「おはよ!」と言ってくれた。「おはよう」と返す。
「えっと、今どういう状況?先生は?」と隣の彼に聞くと、彼は待ってましたと言わんばかりに目をキラキラさせて答えてくれた。
「それがさ!清井さんがスゲーことになってんだよ!」と言って、彼が見ていた携帯電話を僕に見せてきた。
僕は清井さんが教室にいないことを確認してから、ズイっと寄せられた携帯電話を覗いた。液晶画面からはLive映像が流れている。おそらく周りの盛り上がっている人たちも同じものを見ているのだろう。
動画のタイトル欄には『小春日和 新メンバー発表記者会見』と書いてあった。フラッシュの白い光が数人の女の子たちを照らし出している。
その中に、清井さんがいた。
「すごくない?まさかあの清井さんが”コハビヨ”の新メンバーだもんな。全校集会の終わった後くらいから学校に連絡が殺到してて、先生たち対応に追われてるっぽい。何事かなって思ってたら、誰かがこの動画を見つけて、一気に学校中に拡散されて」
こんなことになってるわけ、と彼は廊下に群がっている他のクラスの人たちを顎で指した。
なぜか誇らしげに話す彼に対して曖昧に首肯いて、再び動画の中の清井さんに目を落とす。
”こっち”か~、と思わず心の中で嘆いた。今朝、彼女が思い詰めた表情で駅にいた理由はこのためだったのか。とんだ早とちりをしてしまった。穴があったら入りたい。
「あれ?お前もやっぱり後悔してるかんじ?」と隣の彼が嬉々として話しかけてくる。
「もしかしたら付き合えてたかもしれないもんな~。それが無理でもサインくらい貰っとけばよかったよな?」
「アンタなんか相手にされてなかったから!」と前の席の女子生徒がすかさずツッコミを入れてくる。
「うるせえな、わからないだろ!」隣の彼と前の席の女子生徒のやりとりが起点になって、クラスはまたひと盛り上がりを見せる。
ふっと僕は、この光景を、清井さんに見せてあげたい、と思った。
君のことをみんなが気にかけている。
君のことでみんなが笑い合っている。
君は、きっと、本当は、君が思うより大丈夫なんだ。
画面の中の、不安と緊張で今にも泣き出しそうな清井さんに、伝えられたらいいな、と思った。
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