資本主義は自由主義+民主主義とセットなのか?(コロナも紛争も終わっていくときにその本当の姿があらわれてくる)
意外と知らない中国式の「国家資本主義」その本質 「資本主義と民主主義はセット」の常識を超える(東洋経済)
東洋経済さんは、コロナの最初から冷静に正しい情報を伝えてきました。
あおることもなく、淡々と世の中を観察してきました。
「自由主義+民主主義+資本主義がセットで走り出したのは、200年あまり前のフランス革命あたりからです。(中略)こうした専制的な権力が揺りかごになって資本主義が育てられていた前段階があったことを忘れてはいけない」(前記より引用)
紛争が起きている今、もう一度読み直すととても良い記事です。
彼らの偏らない丁寧な記事の作り方には、本当に感心します。
観察者の視点をうしなっていません。扇状的でもない。
コロナと紛争は似た側面があるので、この一町医者がつづったNOTEにたどり着く方もいらっしゃるかもしれません。いろいろ未来を考える際に、お役に立てるよう記載しておきます。
好調な中国経済と、もう終わっている弱毒コロナなんかで自滅してく日本。
資本主義=民主主義
それ以外=権威主義
という簡単な構図ではないことがわかります。
けっして、資本主義は自由主義+民主主義とセットではありません。
下手をすると、日本も1984の世界になりそうになっていました。
専門家に主導され、法律化もいそがされていました。あぶない。
自由主義が残されているところは、日本の良いところです。
専門家が主導して法律化されていたら、自由が失われた貧しい先細りの世界だけが残されるところでした。そして私たちは、意思や意見をもつことを禁止され、ビッグブラザー(1984)に隷属することになっていたでしょう。そして、過ちに気がついても回復不可能になるところでした。
ホッとすることに、全体主義化を図った専門家たちは今や引退していなくなっていきます。コロナ人災も遺伝子注射の有害事象もふくめて、無かったことになりそうです。
遺伝子注射は、後始末の法的救済処理が「おもいやり予算」として残っているだけです。最初から糾弾を避けるように計画されていたので、経済的な補填だけが焦点になる虚しいものになるでしょう。法的に責任取る人は不在。
ただ、遂行した人は自分には嘘をつけませんから、被害を受けた人々の魂から逃れることはできません。わずかな金貨と引き換えに、枕元に立つ多くの人々の亡霊と一生を暮らすことになります。それは、法的なものとも私たちとも関係のないことで、関わった人々の魂を静かにむしばむことでしょう。
あるは、今生きている大切な機会を奪われた若者たちの憤怒が彼らの魂を蝕むかもしれません。医療に関わることを若い頃に目指して地位についた方にはサイコパスは少ないでしょうから、自責の念から逃げ切れる人は極少数でしょう。
私は、このコロナ人災のあいだに、急速に加齢された有名な方を何人も観察してきました。社会にも断罪され、哀れで悲しいことです。
「最高の瞬間にこそ注意すべきだ。その時に悪魔が忍び寄ってくるんだ」
という思慮深いデンゼル・ワシントンの言葉は真実です。彼らは注目を浴びて人々をいいように操れる権力を得たと思っていたでしょう。
でも実は「自由な魂を捨てる逃れられない契約」を悪魔と交わしてしまったということです。悪魔をタニマチに言い換えてもいいですし、お金でもフィクサーでも研究施設代表でも、医学会会長でもなんでもよいです。もう永遠に逃れられない。どこにいっても、悪魔は後ろにいる。
ずっと支配下におかれて、駒のひとつになり続ける人生しか無い。
どちらにしろ、私たちを含め一般の人々には無縁のことです。彼らだって、やろうとおもえば正しく人々を守る凛とした生き方も選択できたはずですから。その人々が自分で行った選択。結果は国民に人災。
私たちの方は、普通「ワクチン」は一度接種すれば一生持つことを知っていたのに、コロナだと何も考えず、あるいは、同調圧力で何回でも接種してしまいました。でも、そのことも忘却されることになるでしょう。体の免疫系や遺伝子が、変調して生涯憶えていても。脳は自覚できず、忘れる。
そうやって遺伝子の注射は、忘れ去られた過去のものになっていきます。
コロナをあおった人も、それに反対して人々や子供を守るふうを見せながらも結局商売でしか無かった人々も、みんな過去のものになっていくことでしょう。どちら側にも商売人が存在しているということです。
ひとびとには、商売にした人と本当の代価をもとめない誠意を見分ける嗅覚があるからです。ステマが卑怯な手段として嫌われる所以です。
商売人は一時的な金貨を手にして、流行とともに自他共に消え去ります。
紛争も同じです。色々探される方は、色々な側面の目をそむけたくなる動画などに触れることになるでしょう。メディアが報じているものは、全く異なる側面があることに気がつくことでしょう。欧州の人々は知っているから、大人しいでしょう?逆に、どうして静観しかしないのでしょう?
メディアは、紛争もコロナと同じように彼らの世界を写しているだけです。
個人が発信できるようになり、彼らの世界に各所ほころびが出るようになりました。完全無欠の青空を描くことができなくなって、虫食い状に青空の後ろのばい煙だらけの空がのぞいてしまっています。
電波で画像と音声のスキンをかぶせているだけのフェイクだからです。
コロナも紛争も同じ。
いくらメディアが「本日は晴天なり」と言っても、人々はもう「青空」と呼んでくれません。「王様は裸だ」という観察されたファクトをそのままネットに上げてしまうため、間にメディアが入り込むことができなくなりました。少し危なっかしいけど、良い世の中になりました。産地直送。
僕は政治の専門家ではないけれど、世の中を白や黒に簡単にわけて考えるのは間違いだと思っています。
人々が困らないで豊かに暮らせる国が良い国です。
民を貧困においやらない領主さんが良い殿様です。
いろいろなことをそういう面から見ると、このコロナ人災のあいだ、誰が何を言って人々をどう誘導したか面白いです。
コロナも紛争も終わっていくときに、その本当の姿があらわれてきます。
結果的にでも・・・健康を通して副次的にでも・・・
メディアは人々を豊かにしただろうか?
PCR検査は人々を豊かにしただろうか?
自粛は人々を豊かにしただろうか?
遺伝子RNA注射は人々や子供を豊かにしただろうか?
そういう問いかけが重要です。
いまは、そういう時期にきています。
世の中は、大きく変わろうとしています。
感覚的に先がみえるひとには、歴史を通した未来の姿が見えるんじゃないかと思います。
生命科学を専攻する若者たちを想像しているうちに、新しい未来が見える気がしました。
東洋経済さんの
「大村崑90歳「筋トレに目覚めて」
手に入れた宝物 10時間ぶっつづけで眠れたのにはびっくり仰天」
もすごく面白いです。
筋トレには年齢の上限がないという論文発表を地でいっています。
すばらしい。