新しい始まりへの「お祝いの書」
今朝、人混みの中をノーマスクで歩きながら「お祝いの書」を書こうかと思っていました。
なぜかというと、なんと今も実はコロナはエボラ並みの2類なんです!
だけど、どう考えても市民は自分で感染症を終わらせていっている。
お上のいうことが、目の前で起きていることと違ったら、自分で判断して暮らすようになっています。
まだまだ人の目を気にしてマスクしている人も多いけど、だんだん外していくことになるでしょう。
僕みたいに弁当やら缶詰やらペットボトルなど重たい荷物を背負っていると、マスクをして酸素をきちんと取り込めないことはミトコンドリアのATP合成のクエン酸回路の効率を落とすことになります。
また、呼気からの排熱ができないから、カラダに負担がかかります。からだ作りを優先しています。
2009年の新型インフルエンザ流行のときには、インフルエンザも致死的でなくて春になり感染者も減って流行はおわりました。簡易検査ですませてしまっていたので可視化しないですみました。
今は簡易検査だとインフルのときみたいにゼロになったりするから、逃さないように1兆倍増幅のPCRを継続しています。やらなきゃいい。
僕はこう思います。
実はかぜのウイルスなんて1年じゅうある程度は国土に常に存在していて、冬に具合が悪くなる時に検出されていただけなんじゃないかって。
現在は、コロナの常在化を視覚化して見える化しているだけです。
そして、検出されたとしても、それが病気の原因のウイルスかどうかもわからない。老衰や事故で亡くなってもコロナPCR陽性ならコロナ死にしているのと同じです。
そういった「深い階層」の話も、多くの人々が理解できるようになりました。本当に人々はカシコイとおもいます。
子どもたちのことを思って、マスクを外すために尽力している親御さんもたくさんいらっしゃいます。
子供への意味がなく有害事象しか産まない遺伝子注射は、さまざまなひとの努力で避けられるようになりました。
ぜんぶ、言われてやったことではありません。民が考え、民のために行動を起こしたのです。
どこかで聞いた文言ですよね。
リンカーンの
「人民の、人民による、人民のための政治 」
”government of the people, by the people, for the people”
に似ています。
「人民が考え、人民によって運営される、人民のための感染対策 」と言い換えても良いかもしれません。
私たちは、それができるようになったのです。
この日が来るのを、ずっと待っていました。これしか、良い解決方法がないと2年以上前から思っていたからです。長いような短いような。
ここからが始まりです。
自分たちで手に入れた自由です。新しい日々を暮らしていきましょう!
外だったら、マスクなんてしまっちゃいましょう!
人々に襲いかかる凶暴ウイルスなんて、もうどこにもいないです。
最初からいなかったのです。多くの世代が死亡率ゼロだったことがそれを証明しています。
追記
TWITTERに書きました。
2類のまま放置で良いです。違う世界に近寄らない。
私たちは関係のない正常化社会で暮らすのが正解。実感染で終了した人多数ですし、一人ひとり感冒終了。
彼らが興味ない一般の民の健康に直接干渉してくることはありません。
心乱されないことです。好きに生きましょう。
今からできることです。
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