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どうしようもない

自分の習い性も
毒親の横暴も
周りの無理解も
孤立したり人を求めたりするのも

めぐりめぐってたどり着いたのは、

どうしようもないね
人間だもの

という、相田みつをさん風の言葉でした。

人間なんてAIのように完璧な人は一人もいないんです。
完璧なAIにさえ、融通がきかないなどと文句をいう人間……

人間など、本当にその場しのぎのその場の感覚で生きているどうしようもない生き物なのです。

そんなdisり方は無いだろうと思う人がいるかもしれませんが、誰もが同じようにどうしようもなければ、disっていることにもならない。
むしろどうしようもなさを隠して、自分こそは立派だと主張する人は、何に意地を張っているのかと呆れてしまいます。

誰かの罪を追及する時、自分という人間がまるで高尚で公平だといわんばかりの立場に立って言っている時があります。

毒親の罪を追及する時、親というのは完璧であるべきだ、子どもは何をおいても守られるべきものだという前提に立っているのです。
実際には、親も同じ人間だからどうしようもない。どうしようもない人間にどうにかして欲しかったと言ったところで、どうしようもないのです。

毒親を責めても責めても、余計に虚しくなってしまうのは、ここを認められないからなのです。
許すとか許さないとか、そんな次元ではありません。

親とはいえどうしようもない人間であり、
その親の血を受け継いで、どうしようもない風に育てられた私も、どうしようもない人間に過ぎないのです。
ただ、私の家族だけが特別にどうしようもないというわけではなく、全世界のどの人間も、所詮大差無い。
人間だから、どうしようもないのです。

世界各地で紛争を起こしている人たちも、どうしようもない。
自分がどうしようもないと自覚していないから、残酷なことをしても、大義名分を語って反省もせず、またさらに残酷なことをやってしまう。
最悪なのは、人間をdisることではなく、どうしようもなさを隠してまるで全知全能の神にでもなった妄想を抱いてどうしようもないことをしてしまう人間の悪癖なのだと思います。

格好を付ける
言い逃れをする
妄想を抱く

これらは、あらゆる生物の中で人間だけに備わった『どうしようもない』性質なのです。
そのどうしようもなさに気づかずに、虚しいところで頑張り続ける。
自分だけが被害を被るのならまだいいが、関係のない人々まで巻き込んでその命を奪う。
そして言い逃れをして、それを罪だとも思わない、気づかない……

ああ、動物の中でさえも、人間は特にどうしようもないのかもしれません。

いまさら毒親に、「あなたがどうしようもないから、私は苦しんだ」と言ったとしても、毒親がどうしようもない人間であればあるほど、罪を認めず言い逃れをするでしょう。
それならば、どうしようもないことに気づけた自分こそが、毒親より少しはマシな方なのかもしれません。

マシな人ほど、どうしようもない人に苦しめられる。心が侵略される。
その苦しみに気づいていることが、自分がマシになってきた証……
最終的には、そうやって成長してきた自分を誇らしく思うことが大切なのでしょう!

どうしようもない私、バンザイ!
どうしようもない人間、バンザイ!
そのどうしようもなさに気づくことが出来た自分、バンザイ!

そう、人間も、どんな動物も、どうしようもなくても生きている、その生命力にバンザイ!
なのです。

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