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虚飾の美

久しぶりに、サザンオールスターズの曲を聴いてみたら、『ミス・ブランニューデー』の歌詞に深く頷いてしまいました。
著作権の問題があるので、ここに歌詞を載せることは出来ないのですが、気になった方はぜひ歌詞を検索してみてください。

要約すると、街行く美しい女性たちが、上べだけの美しさや流行を追いかけることに夢中で虚しい、というような内容です。
けれどそれを否定するのではなく、桑田さんの女性たちへの優しさや気遣いがあふれていて、切なくなってしまいます。

今もそういう傾向は強いですが、この曲が作られたバブルの頃は、今よりももっと派手やかなものや高価なものや最先端のものを追い求める傾向が強くありました。
バブルがはじけて、経済が低迷しても、その頃の幻想から抜け出せない人たちが未だにたくさんいる。
高価なものが手に入らなくても、安くても『良い物』で表面を飾ろうとする傾向は、掛けるお金の額が変わっただけで、その質はあまり変わっていないように思います。

貧乏性の私は、バブリーな頃の虚飾には嫌悪感がありましたが、『安くて良い物』には親近感があります。
そしてかつてなかなか手に入れられなかった『虚飾品』に手が届くようになったことで、自分を飾るさまざまなアイテムを手に入れて飾ることが容易くなりました。
だから『虚飾』が簡単になったのです。

自分は、本当に自分に必要なものを選んでいる『つもり』
けれど、一時の熱が冷めるとそれに魅力を感じなくなってしまう………

結局『貧乏症のミス・ブランニューデー』なのでしょう。

社会で生きている限り、流行を追いかけないわけにはいきません。
例えばネットや携帯の普及は流行から発展したものですし、社会のシステムもどんどん新しくなっていきます。
頑なに流行に逆らっていたら、もう生きていけない時代なのです。

だからバブルの頃のような、ただ単に美しさや楽しみのために流行を追い求めるという『虚飾』とは質が違ってきているのでしょうが、だからこそ必要もない虚飾まで手に入れたくなる衝動が強くなっているのかもしれませんね。

楽しいことや美しいものを追い求めてイキイキと生きるミス・ブランニューデイを桑田さんは否定しません。
むしろ可愛いと思って愛情で見ている感じがします。
けれど
「本当にそれで良いの?」
と心配をする。

いつか本人が気づく時が来るかもしれない。
虚飾を求めていた過去を懐かしく思うかもしれない。
それが思い出になるのなら、そんな時代があっても良い。
ただ、形を変えて虚飾ばかりを求めていたら、こんな悲しい人生はありません。

改めて、自分の生き方がまだ『虚飾』を求めていたことに気付かされたのでした!

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