葬儀 in 2024 夏
婆さんが死んだ。
朝起きたら死んでいたそうだ。
98歳。大往生である。ここまで生きると悲しくもない。
叔母が同居しており、7時30分に「さぁ起こすか」と見たら冷たくなっていて急いで医者に電話したらしい。アップルウォッチにはその1時間前に心音の停止が記録されていた。
死亡時刻は6時30分でなく7時30分となったようだ。
いつかはくる日だったが、木曜に死んで土曜に通夜となった。
場所は釜石。14時の新幹線に乗り、特急を乗り継ぎ、現地につくのは19時。
翌日も葬儀をやって昼に出たとしても家に着くのは夜である。
まぁなんとも、遠い。2日仕事だ。
クソ長い電車の時間を、親父と話しながら過ごした。
仕事の話、家族の話。時代がどう変わって、今後どうなるかという話。
「世の中のすごく頭のいいやつも、馬鹿だなぁと思ったようなやつも、時間が経てば能力は大して変わらん」「事を成すということは、想い続け努力することである」なんて話をされた。
窓から見える名も知らない山を、登りたいと思わなければ登らないし、登りたいと思ったら足がない奴も這いつくばって登る。
田舎出身から東京で士業の事務所を構えた当人としては、闘って勝ち得てきた自負があるようだ。
親父とは大人になってから話せるようになった程度だが、「あぁコレかぁ」と、自分自身にある近い感覚の根本となるものが垣間見れた。
時間も中途半端で、釜石らしいものは喰えなかった。
ぞろぞろと集まる親族。顔ぶれをみて時間経過の早さを感じ入る。
葬儀は田舎特有なのか、歴史はあるがちょっとマニアックな宗派であるからか、独特なものであった。
なぜか葬儀の前に火葬を済ませ
骨を持って列をなし、寺の前を何周もする
寺に着くと、そこにはデュアル坊さんが
ハモったり、少しずらしたりしながらお教を唱える
なんとも艶やかで騒がしい葬儀であった。
昼食で興味深い話を聞いた。
同居の叔母はもう朝が早いので5時30分にも寝室を覗いたらしく、その際は祖母の掛け布団ははだけて片手が出ていたという。
それが、7時30分にまた見たときには、布団が直っており両手もお行儀よく収まって死んでいたらしい。
表情も和やかで苦しんだ様子もない、見事な老衰であったようだ。
寂しくないといえば嘘になるが、前向きな気持ちでいる
めちゃくちゃ遠いが、こうもないと行くことはない
面白い話も聞けたし、有意義な時間であった
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