自叙伝風小説①バーミステリオ編
夜の繁華街は深海だと言う。
それは倉田の働いている編集社の先輩の言葉である。
その言葉の意味は倉田にはわからなかったが、自分もそう言えるようにと彼は週に4日はこの繁華街にやってきていた。
派手な女性や煌びやかな男性。声の音量調整ができなくなった若者の声が響く中を倉田はいつもの店にやってきた。
バー『ミステリオ』。
ウイスキーに力の入れたこの店は、密かに人気の店だった。
手作りのおつまみは全てのお酒に合うようにとバリエーションが豊富で、またオリジナリティもあった。
酒の苦手な倉田はいつも女性が頼むようなカクテルばっかりだったが、そのおつまみは好きでよく頼んでいた。
もはやお酒ではなくおつまみが倉田の楽しみの目的だというのは細やかな秘密。
最初は先輩の言うとおり、自分の仕事に使えそうな取材ができればと言う意識だったのだが、もうそのことは淡い夢物語だった。
ボツばかりの自分の雑誌の記事のネタになるようにとバーに来ているのだが、今まで一度も良い出会いはなかったのだ。
先輩曰く、バーは人間観察にはもってこいで、週に一度は記事になる以上の出会いがあると言う。
だが、倉田が一年間通っても何一つ記事になることには出会えず、楽しい、と思うことすらなかったのだ。
今日も今日とてボツをくらい、珍しくきつめのウイスキーを、と焼け酒のようにカッコつけていたのだが、それは一杯のグラスを空にしただけで早くも後悔することとなる。
面白い出会いがあっても気が付かないほど酔いが回っている倉田は、本末転倒だと気がつくこともなく、二杯目のウイスキーを注文した。
「ははは、残念。オレは降りるよ」
バーの奥のテーブルから聞き慣れた声が聞こえて、倉田は真っ赤な顔でそちらを見ていた。
聞き慣れたとは言っても、その声の主を倉田は知らない。ただお互いにこの『ミステリオ』の常連というだけであって、倉田も顔は知っているが話したこともないのだった。
彼らはお酒を楽しむこともあるし、今みたいに何やらカードゲームに勤しんでいることが多い。倉田からすればトランプと言うのは子供の頃友人や家族と遊んだもの。ババ抜きとか大富豪。その辺りのゲームしか今は思い出せないが、いい年になってもトランプで盛り上がれるのは少年の心を持っているのだろうか。
「うぁぁぁ!また負けかよ、アカヤギ強すぎんだろ!」
「まぁ、俺にポーカーじゃ勝てないでしょ」
楽しんでいる彼らは倉田よりは年上だろうがまだ若い。
アルコールを囲みながらトランプに興じる姿は洋画の中の姿のようで、倉田は無意識に彼らを見つめていた。
彼らはただの紙切れで遊んでいるだけのようにも見えるし、ギャンブルのように見える。だが、当然というのか特にお金などをかけてはいないしただ遊んでいるだけのようだ。
(色々な趣味の方はいるものだな)
感覚や人生は自分とは違うのだろうと立ち上がった倉田は、その脇を通ってトイレに向かった。
だが、慣れないキツい酒を入れたせいで自分の足元がおぼつかない事にも気がつかなかった倉田は、彼らのポーカーをするテーブルにぶつかってしまう。
しまった、と焦って身体を直そうとするが、脳は全く回っておらず、そのまま倉田は床に倒れ込んでしまう。
「うぉっ!」
トランプを楽しんでいたうちの負けていたほうが驚いた声を上げて立ち上がる。
それと同時にテーブルの上で甲高い音を立ててグラスが倒れた。
「あ、す、すみませんっ!」
慌てて倉田が起き上がり、グラスを立て直すが間に合う筈もなくて。テーブルの上のトランプは中に入っていたウイスキーでビチャビチャになってしまっていた。
「申し訳ありません!服は大丈夫ですかっ⁉︎」
倉田が謝りながら二人を確認すると、勝っていた方の男性は椅子から立ち上がることもなく優しく笑って手を振ってくれる。立ち上がった負けていた方の男性も被害が無いことを確認すると優しく笑ってくれた。
「大丈夫みたいです、そっちこそ足元がふらついてるなんて危ないですよ?今日はもう帰られては?」
勝っていた方の男性がそう言うと倉田は恥ずかしくて堪らなくなりながら、勢いよくまた頭を下げた。
「本当に申し訳ありません!」
結局自分がお金を払って荷物をまとめるまで、倉田は幾度となく彼らに向けて頭を下げ続けた。だが彼らは寧ろ謝りすぎだと笑っているようだった。
そして、倉田が店を出ようと扉に手をかけた時、後ろからトランプに勝っていた彼が声をかける。
「帰り道気をつけて下さい。それと―――次の記事はうまく行くと良いですね」
その言葉に倉田は反射的に頭を下げ、逃げるように店を後にするのだった。
次の週も倉田はうだつの上がらない日々を過ごした。記事は全てボツ、取材ではミスをして残業させられ、とぼとぼといつものバーに逃げ込む。
でも、昨日失敗したばかりなのだから強い酒など飲む気になれず、女子が頼むようなカクテルを注文した。
「はぁ、昨日迷惑かけた人にまで頑張れって言われたのに」
向いていないのかな、と後ろ向きに考えていると、ふと倉田は顔をあげた。
あのトランプをしていた方は、迷惑をかけられたのにも関わらず自分を励ましてくれた。
それはまだ良い。足元が覚束なくなるほど飲んでいたらヤケ酒と思われても仕方ないからだ。でも、彼は「次の記事はうまく行くと良いですね」と言ったのだ。
(僕のことを知らない、よな?)
だとしたらなぜ記事などと分かっているようなことを口にしたのだろう。偶然で言うような言葉では、ないのに。
ふとしたことだが妙に気になってしまい、その日から倉田は同じバーに毎日足を運んだ。
そして、一週間が経ったある日、倉田がソフトドリンクを注文した後ろをあの男が通ったのだ。耳に電話を当てながら少し驚いた顔をしている。
「人身事故?それは災難だな。良いよ、ゆっくり待ってる」
電話を置くと彼はウイスキーを頼んだようだ。盗み聞きなど失礼だが倉田にとっては好都合。待ち合わせの人間が遅れているらしい。
倉田はウイスキーの金額をポケットに放り込み、ジンジャーエールのグラスを持って彼のテーブルに近づいた。
「あの、この間はすみません」
そう声をかけると男はパッと顔を上げ、すぐに察したような笑顔を広げた。
「いえいえ。帰り道は大丈夫でしたか?」
「あぁ、おかげさまで。・・・ご一緒しても?」
恥ずかしそうに笑い返しながら持っていたグラスを見せると、男は椅子を手で勧めて頷いた。
少しだけ緊張する体をテーブルと椅子の間に滑り込ませると、倉田は内ポケットから名刺入れを取り出し、中の一枚を差し出した。
「あの、僕倉田と言いまして、編集社でライターをやってます」
「あぁ、そうなんですね」
名刺を面白そうに受け取りながら呟いた彼の言葉を、倉田は不思議そうに聞いていた。
記事がうまく行くようにと言ってくれたのに、今は本当に初めて知ったのだと言うそぶりに見える。
「僕はアカヤギと言います。名刺はまだ用意していないので申し訳ありませんが・・・」
倉田は気にしないでください、と手を振りながらもその言葉の表現にまたしても引っ掛かりを覚えてしまう。
まだ用意していない。切らしているだとかではなくまだ用意していない、と言うことは何か立場でも変わって昇進したのだろうか。
倉田がジンジャーエールで顔を隠すようにグラスを傾けていると、アカヤギと名乗った男は楽しそうに笑い声をあげた。
「ど、どうかされましたか?」
倉田が不可解そうに尋ねると、アカヤギは失礼、と言いながらも楽しそうに笑っていた。
「きっと素敵なご両親と環境で真っ直ぐに育って来たんだな、と」
その回答で倉田が納得することは一切無かったが、ただ合わせるように笑いながらそうですか、と気の無い返事を発した。そんな様子も笑いながら、アカヤギは自分の顳顬に指を当てて言葉を探し始める。
「僕はこれからYouTubeをやろうと思っています」
倉田はそれがアカヤギの職業に関する自己紹介だと理解するのに数分を要してしまった。
なにより、これからやろうと思っている、ということは今は何なのだろうかと思ってしまったのだ。
たっぷり時間をかけて倉田はああ、と声を漏らすと、大変そうですよね、という当たり障りのない言葉を選びかけたのだが、アカヤギはその返事が来る前になる程、と何かを納得したように頷いて見せた。
「こっちではありませんでしたか………となると」
とんとん、と指を叩いて考える様がなんだか絵になるな、とぼんやり考えながら、いつの間にか倉田はアカヤギのペースに呑まれていた。
グラスに入れたジンジャーエールに手を伸ばす余裕もなく、言葉を発しなくても会話が進んでいく状況にただ固唾を飲んでいた。
「倉田さんの人差し指、ペンダコがありますよね」
倉田はそう言われて思わず右手を開いてテーブルに乗せると、ピクリと肩を跳ねさせた。
自分でも気が付かなかったが確かに言われたように少し形が歪になってしまっている。
左手も出してみたが、明らかに形が違うと倉田にも分かるほどだった。
「今ペンを握るのも機会が減ってますからね、漫画家さんだとか職業が絞られるんですよ。しかも倉田さんはお酒の横に色々切り貼りした手帳を置いてましたし、鞄からボイスレコーダーが見えてたから、なんと無く記者さんだとわかったんですよ」
その推理に倉田は口をぽかんと開けてしまう。
どれも非の打ち所のない完璧な推理であったし、何より自分がそんなに観察されていることに驚いたのだ。
「す、凄いですね……探偵さんですか?」
子どもみたいな呟きにもアカヤギは笑って見せた。
「もっと泥臭くて汚いものですよ、文字通りお金が賭かってたんでね」
そう言いながらグラスに口をつけて舌を濡らしたアカヤギは、思い出すように真上を見上げた。
「少し前、僕はプロのポーカープレイヤーだったんですよ。ポーカーはご存知ですか?」
「正直、あまり………役は全部わかるとは思うんですけど………」
そんなもんですよ、とアカヤギは頷きながらポケットからトランプを取り出してテーブルに並べ始めた。
表向きに三枚、倉谷だけ見えるように二枚を配ると掌をテーブルに向けた。
「テキサスホールデムって言って……コレで役を作るんですよ。一対一じゃ無くてグループで全員が敵でして、この表向きのカードはみんなのカードです」
「………なるほど?」
自分の知っているものとは全く違うのだな、と倉田は改めて気持ちを引き締め直した。
「あの、僕はカードをこれ以上貰えないんですか?」
「そうですね。テキサスホールデムでは自分の手札は増えません。その代わり、場にみんな共通のカードが最大5枚まで増えます」
そう言って一枚表ににカードを配るアカヤギ。
倉田の手には3.5とスートもナンバーもバラバラだった。だが表向きになってる中に3の数字を見つけた倉田は自分のカードを見せた。
「コレでワンペアって事ですか?」
アカヤギはそれを見て頷く。
「そうですそうです、そうやって役を作るんですよ」
笑いながら、またしてもアカヤギは倉田の心を見透かすように目を合わせる。
「普段やってるよりも使えるカード多いでしょう?普通は変えたらそれを使えなくなりますから」
「は、はい………ちょっと難易度が下がるんですか?」
確かにその方が強い役も出やすくて盛り上がるかもしれない、と倉田は自分の中で納得するのだが、アカヤギは小さく首を振った。
「んー、正直テキサスホールデムは役がメインではないと僕は思ってます」
「………?」
役の強い弱いで決める勝負なのに変なことを言うな、と倉田は首を傾げると、アカヤギは置いてあったデックから二枚のカードを引いて見せ、おお、と小さな声を漏らして軽く目を開いた。
「すごく簡単に言うと、役を見せる前に勝負するかどうかを決めるんです」
アカヤギは倉田の前に十円玉を、自分の前に一万円札を置いた。
「勝負するのなら僕と同じ金額以上を賭ける必要があります。………勝負しますか?」
本当にお金はもらいませんけど、と笑って言うと倉田は少し悔しくて真剣に考え出した。
だが考え始めて少しで倉田は首を振った。
「今倉田さんはカード引いた時に驚いた顔をしました……きっといいカードを引いたんですよね?それに僕はこんな弱い手ですし勝負しません」
そう告げるとアカヤギはしっかりと頷いた。
「よく見てましたね、因みに降りる時は賭けたお金を取られてしまいます」
十円を回収したアカヤギは手札を倉田に見せる。
数字は2.9でスートもバラバラ。ブタと呼ばれる無役だった。
「あ……っ」
「こうして役で負けても勝負には勝てるんです、どうです?奥が深いでしょ?」
自分で出して自分で回収した十円玉を手の中で弄びながらアカヤギは心底楽しむように少年のような笑顔を見せていた。
「確かに、騙し合い読み合いですね……僕には難しそうだ」
倉田はそんなことし慣れているわけでは無いし、向いてもいない。
愚直なまでにまっすぐだから、きっと勝負したところで散々に負けてしまうだろう。
「でも夢中になる理由もわかります」
「でしょう?」
嬉しそうに言い返しながら、アカヤギはトランプを片付けて行く。
「ポーカーは本当に面白いんです。ただのカードゲームのようにも思えるけれど、その実会話でもあって……役だとか運だとかだけじゃ無い力で勝負しているのに、時折運が良くて大勝ちすることもある。かなり高度なゲームだと僕は思うんですよ」
倉田は聞こえてくる言葉に実感を持って何度も頷きながら、自身に湧き出てきた疑問を小声でぶつけた。
「あの、日本でこういうのに賭けたら違法なのでは……?」
だからと言って今更アカヤギと距離を取るつもりも軽蔑するつもりも無いが確認してみると、彼は大丈夫だ、と一度肩を竦めた。
「ぼくがプレーしてたのはマカオでしたから」
「あぁ、なるほど」
マカオに行ったことはないし詳しくもないが、カジノが有名だということは倉田も知っていた。実際カジノでやっていたかは知らないが、マカオでポーカーと聞くと違和感が無いのも事実だった。
「その、結構賭けたりするんですか?」
それは記者としての魂なのか、単なる野次馬根性なのかは分からないが、倉田は自然とそんなことを聞いていた。
「んー、ギャンブルとかしない人にとっては大金だったと思いますよ?何年かは食べられるくらい稼ぎました」
ポーカーだけじゃ無かったですけど、と付け足しながら言う姿を見て、倉田はいつの間にか勝手に早くなる自分の鼓動を感じていた。
「マカオに部屋を借りて、夜は毎日ポーカーでしたね、たまに息抜きもしましたけど」
「な、なるほど」
ずっと探し求めていた恋人に会えたかのように倉田は舞い上がって行く。
「その、なんでポーカーをされてたのに、今はYouTubeをしようと?」
上擦った声で突っかかりながら聞くが、アカヤギは色々です、と笑顔で誤魔化してしまう。
倉田はそれだけで彼の虜になったような気持ちだった。
声をかけてアプローチしてもなびかない女性の方が魅力的だと言うのは、今の倉田であれば同意を見せることが出来るのかもしれない。
「じ、じゃあ!そもそもポーカーをしようと思ったのは?子供の頃からされてたわけではないでしょうっ?」
これが先輩の言う出会いに違いない。
そう自分に思い込ませながら倉田は更に身を乗り出して唾を飛ばすのだが、結局その日、アカヤギが倉田の質問にしっかりと答えることは終ぞなかった。
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