自分自身にすら隠している気持ち
【ペンタクルの7】
「真剣に、ひたすら目を向けて、精進してきたけど、だからといって何も変わらない」
・
俯瞰して見る、とは良く言うけれど、
やっぱり、一歩引いてみなければ、
見えないこと、わからないこと、
あるもんです。
じゃあ、一歩引いて何を見るかというと。
あなたは何を創ってきたのか、です。
真剣に向き合ってきたならば、
精進してきたのならば、
創り出されたものはきっとある。
成果物といっても良い。
ただ、それは、
有形、無形を問わない。
ここが難しくて面倒なとこでもあるのだが。
実際の「物」であることも、
例えば肩書きや地位、
称賛、共感、賛否。
主観であれば、
満足感、達成感、充実感、義務感、
楽しさ、喜び、
その他もろもろ。
思考を変え、行動を変え、歩を進めたならば、
それはつまり変化である、と。
だからそこに、
「特に変化したことはない」
なんてことはあり得ない。
けれど、
どうしたって、ぐるぐるしてしまう、なら。
自分が創造したことと、
自分が変化した点と、
それによって得られたものの、
そこらへんに満足がいってない。
つまり、
「求めているものに手が届いていない」
となる。
過去、求めていたこと。
今、求めていること。
本音を探す。
自分自身にすら隠そうとしている、
「私が求めている気持ち」
は何かと、
眺めてみる機会が必要なのではないかな。