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インナーパブリック化

「パブリックビューイング」という空間は、何とも不思議な空間だ。
サッカーのイベントでパブリックビューイングが設けられることが多いが、
通常、サッカーの試合観戦は、サッカーに関心のある人がチケットを買い、
スタジアムという空間で、試合を観て楽しむものだろう。
しかし、パブリックビューイングはそれとは少し様子が違う。
もちろん範囲やルールが設けられ、
その中でファンの人がサッカーを楽しむわけだが、
試合が行われているスタジアムの外部にそのスペースが設けられるために、
サッカーのファンでない人、関心のない人にもその光景が目に入る。
「パブリック」と名前はついているが、全方向的に開いているわけではなく、
サッカーに関心がある人を対象に、
「ある特定のグループ」に開かれている空間で、
「ある特定のグループ」に開かれてはいるが、
グループ外の人の目にも触れる空間。

ファンの人と、ファンでない人の中間に位置するような
プライベートと、パブリックの中間に位置するような空間だ。

これはSNSに似たような空間だ。

Twiiter やfacebookが登場し、個人でも情報が発信できるようになった。

フォロワー同士で情報を共有するような仕組みなので、
基本的にはフォロワー同士で情報のやり取りをするわけだが、
リツィートやシェアという機能があることで、
フォロワーでない人にも情報が届く場合がある。

知り合い同士で楽しむプライベートのような空間でもあり、
それ以外の人にも開かれているパブリックのような空間でもある。

しかし、そのようなフォロワーと、フォロワーでない人を
横断するような機能があるために、
個人や友人や仲間などのグループの範囲を想定して発信された情報が
何らかの要因でその枠から漏れ出て、
多めにパブリックの要素が入り込んでしまった時に、本来の意図が消失し、
別の文脈に変質する現象が起きてしまうことがあるように思う。

それは何というか、
「インナーパブリック化」とでもいうような現象だ。

「インナーパブリック化」は、ある範囲内で、ある発言や表現が
好意的に受け取られ、その発言や表現が拡散されていく内に、
その範囲を超えてしまい、漏れ出て、当初交わるはずのなかった
その発言や表現に対して
熱狂しているグループと、熱狂していないグループが混在し、
温度差によるモヤモヤが醸成されてしまうような現象だ。

そして、その「本来の意図が消失し、別の文脈に変質する」が
ポジティブに働く場合もあるだろうし、
ネガティブに働く場合もあるだろう。
それはおそらく誰にもコントロールできないし、
どうように変質するかは事前には分からない。

もしインナーパブリック化の波に巻き込まれた時には、
それがポジティブに働くことを願うのみだ。

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