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10年前、単身ニュージーランドへワーキングホリデーをしにいった時の話。

もう10年も前の話。
私が20代だった時のこと。

当時、とにかく周りの人には驚かれるばかり。
仕事を急に辞めて、地元に帰るのかと思えば1ヶ月後にニュージーランドに行くと。

何を思ってそう思ったのか、何でニュージーランドだったのか、英語も話せないのになぜいきなり海外に行くのか。
職場の先輩には、仕事は3年続けてやっと少し認められるくらいだから2年しか働いていないような人間に再就職は難しいよ。と言われたり。

当時、周りからは突飛なことを言い出して行動する変な人と思われていたかもしれないが、私には目的がはっきりとあった。

「自分のことを誰も知らない土地に行って生活をしたい。どうせ行くなら一生行かなさそうで日本に似ている(形と気候が)ニュージーランドにしよう」

当時20代前半だった私は、そんな考えのもとLCCの格安航空券で単身ニュージーランドへ行った。

初めは2週間のホームステイと2週間午前中だけ語学学校に行く。それだけは決まっていた。2週間以内に次の家と仕事を得ないと生活していけない、というなんともまあヒリヒリするような生活で。しかし当時の私はそんなに深刻ではなかった。

当時英語がろくに話せなかった私は、ホームステイでも学校でも言葉に困る日々。学校初日からバスを間違え、バスの運転手さんに間違ったことを話すと最後の一人になるまでバスを降りないで待ちなさいと言われ、バス路線ではないにも関わらず、学校の近くまで送ってくれた。
学校につけば、クラスには日本人が一人もいなく、ブラジル人やアルゼンチンなど南米から来た人が多くいた。言葉はもちろん通じるわけがなかったが、お互いの拙い英語でのコミュニケーションでなんとか連絡先を聞くことができた。
その日、語学学校の先生に行って銀行での口座開設の仕方を聞き、銀行に行ってみた。窓口で話しても「そんな英語でよくここに来たわね」「話にならない」と言われ、それを見かねた奥にいた男性行員が別室に通して話を聞いてくれた。そこでアルバイトをするために口座を作りたいことを必死で伝えた。その時私は泣きながら話たのを覚えている。しかしその男性は私の身の上話まで聞いてくれ、口座開設・ネットバンキングの方法・ATMの使い方なども教えてくれた。

この体験をして10年たった今でも思うことは、新天地での0からの生活は自分一人の力で1やそれ以上にしたわけではなく、周りの親切な人がいてくれたからだということ。

もちろん、誰も知らない、誰も頼れないような環境に行った自分の責任だが、自分の考え、行動次第で周りは力を貸してくれるということを知った。そして、言葉が通じなくても、相手も理解しようとしてくれ、助けてくれることがあるということ。

10年経った今は、当時なかったLINEなどのメッセージアプリが使えたり、公衆WiFiが使いやすくなったり、Googleマップも普及して、紙の地図でなくても良くなったり。情報が取りやすくなった今、海外での生活も以前より簡単になったと思える。

今は調べればなんでも出てきて助けてくれる。
なんとなく一人でできるような気がしている。

しかしそれは自分一人の力ではなく、そのシステムを作っている人など縁の下の力持ちの存在があるということを忘れてはいけないと思う。

人に聞かなくても情報が手に入る今、人と人とのコミュニケーションの方法が希薄になっている感じがする。そしてコロナでさらに。
対面で話し、相手の反応を汲み取る。
それは対人関係でとっても大事なことであるのは変わりないはず。

つい忘れてしまいがちな、「なんでも一人でやっているような気になっている」。
それは、自分一人ではないということ。

当時ニュージーランドで出会った人たちとは今でも繋がっている。
特に最初に働いたレストランのマネージャーさんは、今一緒に仕事をしてもらえるまでになった(今はレストラン業ではないが)。

一人で行ったニュージーランドも、気づけば帰る頃にはたくさんの人と出会いたくさんの人と繋がった。

今があるのはあの時の自分の決断。

ありがとう、10年前の自分。

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