長い間お休みしていました。

しばらく投稿できずにいました。

自分の体の調子が悪く、この数ヶ月で色々あり投稿できる状態ではなかったのです。

改めて何をやるにも健康が大事だなと思いました。


そう、今回はこの数ヶ月の話について。
私が2週間ほど入院していたのですが。。。
その時に色々な気づきがありました。

入院中、ベッド上で寝たきりの様な日々が続き、個室の中のトイレとベッドの往復しか動くことがなかった数日間。患者側になりお医者さんをはじめ、たくさん看護師さんや清掃のスタッフさんなどにお世話になりました。

その中でも印象に残っているのは、体が不自由な時に助けてもらったこと。

でもそれは本当の意味では、悔しい情けない恥ずかしいという気持ちのなか助けてもらったことでした。

ベッドで寝返りにも10分かかる、起き上がるにも昇降ベッドの力を借りて行わないとできない、立ち上がるのも痛くてテーブルにつかまりながらもやっとの思いで…
そんな中、排尿するための管を抜くか抜かないかという状況で、私はどうしても自分でトイレに行きたいと思っていた時。看護師さんから「自分で立って歩いていけるなら抜きます」と言われたのです。
私は頭痛、腹痛、立ちくらみなどの症状が強い中、なんとかしてトイレに行きたい思いで看護師さんの前でトイレに行くために歩き出しました。
しかし、立ったせいで視界が真っ暗になり、立ちくらみで立ち止まり、そしてふらついてしました。その時は転んだりするほどではなかったのですが、看護師さんから「ふらついてしまったので、まだ抜くのは難しいですね」と、あっさり。
その時私は、こんなにもあっさり言われてしまうなんて…とショックを受けました。しかもそのふらついた時に体を支えてもらって、ベッドに戻る時には「後ろにベッドがあるので座りましょうね」「はい、足をベッドにあげますね」と介助されてしまったのです。

以前入院施設のある病院で勤めていたことを思い出しました。

私も患者さんに対して同じこと言っていたんだな、と。

看護師さんに介助してもらった時、「こんなこともできないと言われているようだ」とふと思いました。
日常であればなんてことはない座る動作、ベッドに足を上げる動作。そんなことも体が弱ってしまってできなくなっている。しかも介助してもらっている自分。なんだか情けなくなり、悲しくなってしまいました。
看護師さんが悪いのではなく、そう捉えてしまった自分がいたのでした。

これは自分が患者側にならなければ感じることがきなかったこと。
そして病院で働いたことがなければ気づかなったかもしれないこと。

ただでさえ、色々な事情で入院しているのだから、もっと寄り添ってあげればよかったかな、と思ったりもしました。

医療の現場、介護の現場は確かに時間がないかもしれません。でも患者さんの「できる」をもっと尊重したい。そして見守ってほしい。
本当に助けがほしい時、人は「助けがほしい」というサインを出すと思います。出せない人には聞いてからでも遅くはないと思います。

その人の「できる」を待ってあげたい。

入院してそんなことに気付かされました。

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