読んでもらうための文章、というよりは
読んでもらうための文章、というよりは
これは私が書きたい文章。
梅雨明けの7月、早朝5時の私の頭の中。
私は、心の動く瞬間が好き。
と、思っていたけど正確に言うと
心が動いて体に影響するのが好き、なのかも。
心から嬉しくて、笑顔になるとか
心が揺さぶられて、涙が出るとか
心の伴う人間の表現活動が、すきだ。
あ、いま「ジャムパンが食べたい」と思った心。
いまジャムパンを食べたら、とんでもなく幸せになれる自信がある。
それは、心からの影響を身体がキャッチしてくれるから。
逆に言うと、身体が心に従うから。
心があって、身体がある。
心があって、自分がいる。
他の人にとってどうなのかわからないけど
私にとっては「心」が本体。
それを表現するために、身体がある。
いま、心と身体が引き裂かれてしまいそうな日々を過ごしていて。
「がんばる」とか「むりをする」とか
心が置き去りのままなんだ。
だから自分を認められないし、受け入れられない。
「心を表現する」ために「身体の能力」が最低限必要。
心の機微や大きな心の動きを表現するためには
それなりの身体表現能力が必要。
私に足りないのは、心と身体を繋ぐことかも。
…心と身体を繋ぐ、とは?
ちょっとここ、しばらく考えてみる。
何か見えたらまた書きに来る。