見出し画像

ギーゼブレヒト伝に現れたレーヴェ(3)

 このシリーズの記事は、文献学者フランツ・ケルンが著した『ルートヴィヒ・ギーゼブレヒト 詩人・学者・教育者』によりながら、ギムナジウム教師ギーゼブレヒト(1792-1873)と、その同僚で作曲家のカール・レーヴェ(1796-1869)の関係を概観する試みである。(1)では両者の出会いと、共同で作品を創作するようになった経緯が跡づけられ、(2)では両者のオラトリオが聖俗の中間ジャンルを目指していたことや、ヘーゲルの影響下に台本を書いていたギーゼブレヒトの自負が明らかになった。

 オラトリオ《鉄の蛇》もまたギーゼブレヒトが、ヘーゲルに倣い宗教のユダヤ的段階を特徴づけるべくして書いたものらしい。レーヴェによって作曲された《鉄の蛇》が、1835年にマインツの音楽祭で演奏された際の模様はどうであったか。ケルンはレーヴェ自身によって指揮されたその演奏が「真の喝采の嵐を巻き起こした」と書き、いかにもギーゼブレヒトの心酔者らしく「テクストの面からも」と付け加えることを忘れない(Kern[1875: 94])。

 以下の記述にはレーヴェの自伝が引用されているので、われわれも自伝に直接当たることにしよう。レーヴェは妻のアウグステに書き送っている。

《蛇》は超一流にうまく行ったよ。それがどんなふうに作用するか、きみは信じないだろう。ぼくはこれこそ自分の最高の作品だと思う。聖なる対象が扱われていることは、聴衆が大声で喝采する妨げにはならなかった。

Loewe[1870: 204]拙訳

宗教的な「聖なる対象」が世俗的なコンサートで拍手喝采を浴びるあたりに、いかにも近代市民社会らしい音楽の在り方が見て取れる。聖俗の中間ジャンルを創出するというギーゼブレヒトとレーヴェの狙いは、この作品では成功したようである。レーヴェ夫人アウグステから礼状を送られたギーゼブレヒトは、返信のなかでレーヴェ夫妻からの好意は「貴重な宝物」であると述べている(Kern[1875: 95])。

 「ギーゼブレヒト伝に現れたレーヴェ」というテーマからは少し脱線するが、レーヴェの書簡でケルンが引用しなかった部分に、《鉄の蛇》の音楽的内容を窺わせる記述があるので、ここに引用しておく。

どれほど霊に満たされ、生き生きと物凄い人数の人々が演奏したか、きみは信じないだろう。フーガは海の波のように押し寄せ、コラールは天国を地上に引き下ろした。

Loewe[1870: 205]拙訳

レーヴェのオラトリオの音源はまだ少ないが、再評価の動きは起こっているという。この作品も聴いてみたいものである。

 さて《鉄の蛇》は大成功を収めたものの、ふたりのオラトリオがいつもこのように成功したわけではなかったらしい。《グーテンベルク》を聴いたときには、ギーゼブレヒトは演奏に満足せず、疑念にとらわれたという。ある友人に宛てた1837年の手紙に、彼はこう書いている。

レーヴェにこのことの責任がどれほどあるか、私は決めないでおく。私自身もしくじったことは明らかだ。ヘンデルの厳格な教会様式とオペラのあいだを媒介するという試みにおいて、私は《グーテンベルク》で限界に達した。教会的なものは、テクストでは甚だしく背景に退き、作曲ではまったく消えてしまった。私は自分が中途半端なもののために労したことを悟る。そうは言っても、過ちを犯したことを認識したのだから、それも収穫だ。

Kern [1875: 95]拙訳

ケルンの書き方だと、いかにもギーゼブレヒトが《グーテンベルク》の失敗をもってオラトリオ台本から撤退したように読めるが、そう単純な話でもないようである。そもそも前回の記事に出てきた《パレストリーナ》は、レーヴェの自伝の巻末に付された一覧で見れば、1841年作曲となっている。つまり《グーテンベルク》より後なのである。《グーテンベルク》以後の成立年を持ったギーゼブレヒトの台本によるオラトリオは、他にもいくつかある。ケルンの記述の時系列がおかしいのである。

 現実に突き当たってひとつの挫折を味わいながら、否定を引き受けつつも自己を貫くべく、ギーゼブレヒトは友人レーヴェのために、オラトリオ台本の創作を続けたというのが、より実情に近いのではないか(ヘーゲル主義者ならきっとそうするだろう)。「過ちを犯したことを認識したのだから、それも収穫だ」というギーゼブレヒトの言葉が、私は好きである。騎士団の町ミーロウに生まれ育った不屈の男が、いかにも言いそうなことではないか。ギーゼブレヒトとレーヴェの友情は、たった一度の失敗で終わりを告げるようなものではなかったのである。

参考文献

Franz Kern: Ludwig Giesebrecht als Dichter, Gelehrter und Schulmann. Als Anhang: Ferdinand Calos Leben erzählt von Ludwig Giesebrecht. Verlag der Th. von der Rahmer, Stettin, 1875.

Dr. Carl Loewe's Selbstbiographie. Für die Öffentlichkeit bearbeitet von C. H. Bitter. Mit dem Portrait Loewe's und mehreren Musikbeilagen, Verlag von Wilh. Müller, Berlin, 1870.