![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151013938/rectangle_large_type_2_b6e9c6e78e7128a4139cb92fd756685f.jpeg?width=1200)
心霊写真②
「水面から伸びる無数の白い手」
のあらすじは
夏だからみんなで泳ぎに来た
近くの岩の上から飛び込もうとなった
飛び込む一人ひとりを撮影しようとなった
最後の一人だけが何時まで経っても岸に上がってこない
彼は水死体としてして発見された
後日、写真を現像することになった
亡くなった彼の飛び込みを撮った写真には、なんと水面から伸びる無数の白い手が!
と、このような感じです。
地域によって海だったり川だったり、琵琶湖だったりするようですが、概ねこのような流れです。
自分としては、この話が心霊写真に少なくない影響を与えたのでは?と思うのです。
「心霊写真が撮れる(心霊写真の被写体となる)と近いうちに死ぬ」
というジンクスを、心霊オカルトが好きな者なら一度は聞いたことがあると思います。
自分が小学生から中学生の頃には、このジンクスは心霊写真とセットで語られていました。
そして、その例として「水面から伸びる無数の白い手」の話(派生、類話)を聞かされたり読まされたのです。
子どもの頃はビビり倒していましたが、今になって冷静に考えると、このジンクスにこの話を使うのは、ちょっと誤解があるのでは?となるのです。
まず、ジンクスの時系列は
心霊写真が撮れた→近いうちに死ぬ
ですが、この話の時系列は
既に死んでいる→死因が写真に写っていた
なのです。
では、どうしてこうなったのでしょうか?
恐らくですが、ジンクス自体は70年代オカルトブームの頃から言われていた事で、
心霊写真と人の死が直結する物語、あるいは体験談が少なかった頃、この話は大変インパクトがあった。
そのため、この話が引き合いに出されるようになったのではないか。
そんな気がしています。