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心霊写真②

「水面から伸びる無数の白い手」

のあらすじは


  • 夏だからみんなで泳ぎに来た

  • 近くの岩の上から飛び込もうとなった

  • 飛び込む一人ひとりを撮影しようとなった

  • 最後の一人だけが何時まで経っても岸に上がってこない

  • 彼は水死体としてして発見された

  • 後日、写真を現像することになった

  • 亡くなった彼の飛び込みを撮った写真には、なんと水面から伸びる無数の白い手が!

と、このような感じです。
地域によって海だったり川だったり、琵琶湖だったりするようですが、概ねこのような流れです。
自分としては、この話が心霊写真に少なくない影響を与えたのでは?と思うのです。

「心霊写真が撮れる(心霊写真の被写体となる)と近いうちに死ぬ」

というジンクスを、心霊オカルトが好きな者なら一度は聞いたことがあると思います。
自分が小学生から中学生の頃には、このジンクスは心霊写真とセットで語られていました。
そして、その例として「水面から伸びる無数の白い手」の話(派生、類話)を聞かされたり読まされたのです。

子どもの頃はビビり倒していましたが、今になって冷静に考えると、このジンクスにこの話を使うのは、ちょっと誤解があるのでは?となるのです。

まず、ジンクスの時系列は

心霊写真が撮れた→近いうちに死ぬ

ですが、この話の時系列は

既に死んでいる→死因が写真に写っていた

なのです。
では、どうしてこうなったのでしょうか?

恐らくですが、ジンクス自体は70年代オカルトブームの頃から言われていた事で、
心霊写真と人の死が直結する物語、あるいは体験談が少なかった頃、この話は大変インパクトがあった。
そのため、この話が引き合いに出されるようになったのではないか。
そんな気がしています。

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