へぇそうなんだ日本史㉙【どうやっても仕事ができない左大臣】
やる気がないわけじゃないんです。
一生懸命頑張ろうとするのに、なぜか失敗してしまうのです。
それでもめげずに次に頑張ろうとトライするのですが、全く教訓は生かされず、またもや失敗。
でもその人は、左大臣。
定員たった1名という朝廷の最高の役職に就いていた人です。
彼の上になる役職と言えば、名誉職の太政大臣だけ。
当時太政大臣だった藤原道長は、左大臣の失敗にあきれ、怒り、罵倒していたようです。
他の公卿や朝廷の官吏たちも左大臣の能力を見限っていました。
本人にしてみたら、そんな過去をさらけ出すのもイヤなことでしょう。
しかし、「黒歴史も歴史の一種」ということで、以下の明石白の記事においてご紹介させていただきました。
ごめんね、顕光。
*記事中、藤原延子が「敦成親王の妻となり」との記述がありますが、「敦明親王の妻となり」の間違いです。お詫びして訂正いたします。