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「光る君へ」うろ覚えレビュー《第44話:望月の夜》
■さよなら三条天皇
病身にあってもなかなか政権を諦めきれなかった三条天皇。
道長一家と深く関わりさえすれば、地位を強固にできると思ったのか、娘の褆子を頼通の嫡妻にする話を道長にもちかけた。
だが、前話でもおわかりのように隆姫以外の妻は欲しくない頼通は、道長に「ノー」を突きつける。
はっきりと天皇に断ることができない道長は、頼通に仮病でやり過ごさせようとする。しかも病の原因はあの藤原伊周の「呪い」なんだって。
死後にもこんなことに使われる伊周はまことにお気の毒である。
卑怯だが、平安時代にはよくある道長の仮病作戦だ。
これには三条天皇も「万策尽きてもうたかな」と思ったのである。
すると、まだつながりのある藤原実資による入れ知恵で、天皇の息子である敦明親王を次の東宮にすることを条件に譲位することとなった。
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やがて譲位した三条天皇だったが、やがて42歳の若さで崩御。
この人が病でなかったら、どのように道長とやり合っていただろうか。
うーん、それでもやはり道長には勝てなかったかな。
■道長、子に嫌われる
実は道長家の内情には、なかなか厳しいものがあった。
彼は、三条天皇の娘・褆子を妻にすることは絶対嫌だと頼通に断られた上、無茶な話が進められるなら、息子の頼通は藤原家を出る、とまで言われていたのだ。
しかも、それに悩む道長に対し彰子が言う。
「帝も父も女子を道具のようにやったり、とったりしはりますな。女子の心をお考えですのん?」
彰子自身の経験がそう言わせた。
さらに彼女は、妹の妍子が酒に溺れるのも父のせいだと断じたのだ。
そのうえで
「この婚儀(頼通と褆子の結婚)、誰も幸せにせえへんでと胸はって(三条天皇に)断わりぃや」
とまで言い切った。
いつの間に彰子ってこんなに男前の女性に?
が、前述したように道長は、彰子ほど男前ではなかったのか、そんなこと三条天皇には言えず、仮病でやり過ごすこととなるが。
妍子は、妍子で道長が会いに来ると「何なん今さら?」とけんもほろろ。
「父上の道具として年の離れた帝に入内しましてな、皇子も産まれへんかったあての唯一の慰めは贅沢と酒ですねん。帰ってぇな」
あら。贅沢も酒も、全部道長のせいではなくて、もともと好きそうな気もするけど。まぁええわ。
辛辣な彼女の言いようも道長のやったことを考えたら致し方ないか、と思うあたしである。
■道長、同僚・部下たちに煙たがられる
三条天皇の譲位後、道長の孫の幼ない後一条天皇が即位すると、道長がその摂政となった。
公卿たちの奏上に対して、天皇は道長が耳打ちするセリフそのままを喋るというシステムで、後一条天皇は、操り人形っていうか、かなり腹話術人形寄りである。
あたしもよく知らんかったが、摂政って、あんな感じ?
聞いている公卿たちもよい気分ではなかったろう。
ところで、道長は左大臣と摂政を掛け持ちしていた。
決断する天皇の側に摂政として立ちながら、仕事熱心にも、天皇に相談するための会議「陣定」にも出席しちゃうのだ。
自分で公卿と話し合った内容に対して、自分で決断を下すという、なんだかよくわからない状況。おごそかな、茶番。
そりゃ周囲は道長のこと煙たく思うでしょうとも。
現場はやりにくいだろう。
見かねた藤原公任「左大臣+摂政」辞めろのアドバイスをする。
道長のためだ、と言うのだが、欲張りすぎると、嫌われるよ、ってことだ。ほかの公卿にも仕事は残しておいてやれや、でもあるだろう。
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猫の鈴をつけるような役回り?かもの公任。
ただ、意外にも道長は
「先の帝に退位を何度も催促したオレやけど、今度はオレの番やったわ・・・」
と認めるところは素直だったりする。
道長最後のバランス感覚なのだと信じたいが。
■倫子がコワい
今までずっとこの人が怖かった。倫子。
いつか、藤式部(まひろ)と道長のことがバレて(いやもうバレてるのかも)、恐ろしい報復されるんじゃないかと思っていた。
なんとか倫子は爆発してはいないけど、内心何を考えてるのやら。
微笑む彼女がやっぱりコワいです。
今回、藤式部(まひろ)の局で道長が彼女と「自分の目指す政の将来」を後継者に託すことについて話しているときに倫子が登場した。
確かに政の話をしていた2人だったが、実は、それは慕い合う者同士が別々の道を歩むことになったときの決別の際の約束事をどのように守るか、という話題でもあったのだ。だから、当の2人も視聴者もちょいとドキッとするわけだ。
「何話してはりますのん?」
「政の話を藤式部(まひろ)にはなさりはりますねんな」
と道長を言葉でやんわり刺す倫子。
ええ、まぁ、それ以上もね。
「藤式部が男やったら、あんさんの片腕になりましたんでしょうけど、残念ですわ」
倫子はにっこり笑って自分で納得したかのようなそぶり。
怖がってるのは、あたしだけやないよね?
そのセリフ、何かの暗示ですか、言葉の裏に思惑があるのですか。
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倫子が藤式部に話してるんです。
実は、倫子自身は、藤式部(まひろ)にお願いごとがあって彼女の局を訪ねたのだった。清少納言の『枕草子』のように、夫の道長の栄華を記録に残してほしいという倫子。この夫にこの妻、という感じではある。
夫はできる立場や力は全部使って一家のこと、政のことを第一に推し進め、繁栄を目指す。
そして妻の倫子は、その様子を後世に残すことで側面からサポート。
そこに真の愛情はなくても、なんかうまくやってるこの夫婦。
■この親にしてこの子あり
意外と物わかりの良かった道長は、むすこの頼通に摂政を譲った。
だが、頼通もさすが道長ジュニアである。
後一条天皇の摂政就任の祝席で、なんと頼通は妹の藤原威子に、あっさり入内しろ(天皇の妻になれ)というのである。
こともなげに。なんか無邪気に。
頼通自身は、「隆姫以外とは結婚せえへんで!」などと純愛貫く宣言をしておいて、実の妹をあっさり政治の道具にする鬼畜。
いやがった威子だったが、結局入内し中宮となっている。
酷い兄もいたものだ。
ま、明治時代頃までは大なり小なりそいういうのってアリだったよね。
■でね、「望月の歌」なんですよ。
三条天皇の崩御により、後ろ盾を失った息子の敦明親王。
自ら東宮のポジションを退いたが、いじめられるよりは懸命な判断だったかも。
その代わり、後一条天皇の弟である敦良親王が東宮となった。道長的には現天皇も東宮も自分の孫だからしめしめ、である。
さらに、
彰子は太皇太后、きよ子は皇太后、そして威子が中宮となったことで、ついに「一家三后」をなしとげた道長一家。
最高、最強ポジションを占めたのだ。
これを栄耀栄華を極めたと言わずして、何という。
な・の・に。
威子が中宮となった宴では、威子はとってもコワい顔してた。
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彼女は9歳年下で甥っ子である後一条天皇の正妻になったのだ。
入内のときから嫌がってたけどね。
さらに威子の姉の妍子は、父の道長に言い放つ。
「父上と兄上以外はめでたいと思っている者はおりまへん」
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確かに。
一家三后の栄華を誇る道長一家にしては、凍りつくようなその場の雰囲気。彰子だけは、
「頼通がよりよき政がでけますよう願ってますで」
と大人な発言をしていたが。
宴では、頼通が弟と共に舞を踊り、公卿たちが酒を酌み交わしていたが、どうももろ手を上げての祝賀ではない雰囲気。
そして、そんな雰囲気の中で道長はあの「望月の歌」を詠んだのだ。
なんで?
達成感? それ、感じたん?
「望月の歌」の解釈については、現在いくつかの説があって、俺ってこんなに凄いぜ、という自慢たらたらの歌ではなかったという解釈もある。
彼は何を思ったのだろうか。
藤原実資は、詠みかけられた歌への返歌の代わりとしてその場の者たちに呼びかけ、皆と共に何度も唱和した。
唱和の声が響く中、満月を見上げながら廂に建つ道長。
キラキラとした光のかけらが道長の周囲に降る様子が見られた…と思ったが、あれはきっと彼を見つめる藤式部(まひろ)フィルター越しのカメラワークのせいだろう。
彼女の歌へのリアクションはどこか満足そうでもあった。
そう、彼らの間にはいつも望月があったね。
これまでの2人がことあるごとに見上げる月の演出は何度も登場したが、おそらくここに集約されるための演出だったんじゃないだろうか。
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何にせよ、「光る君へ」バージョンの「望月の歌」は、「やったー!」っていう雰囲気とは随分違ったイメージだった。
学校の歴史の時間で学んだような、「権力者道長による権力誇示」的じゃないのは確かです。
道長の心の中の複雑さがその場の雰囲気にあらわれているような。
じゃ、なんで歌詠んだんだよ、という疑問も残る。
しかも、あの宴の雰囲気の中で。
あくまでもドラマ上でのことだが、あたしには険悪な、冷え冷えしたパーティにしか見えなかったが。
ただ、あの「望月の歌」が絶好調の証だったわけではなく、複雑な事情の中で掴んだ栄華だったことを印象付けるものだったということは、わかったような気がした。