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「入院生活」のはじまり
この辺はあまりはっきりした記憶を持っていない。
朝になり、ICU的な個室から、私は移動する事になった。
痛みと眠れなかったストレスとなんか色々ごちゃ混ぜで覚えきれて居なかったんだと思う。どこをどう搬送されたのかも覚えていない。
ただ段差などで襲う痛みに絶叫して、静かな空気を引き裂いたのは容易に想像がつく。
408。
私が行き着いた部屋にはこう書かれてた。
市民病院は東西連番の3桁の部屋番を使用しているが、4が頭にあるということはここは4階。そして部屋番号が若いので東病棟、と理解できた。
ここは、整形外科だ。
骨砕けてるし、メス入れまくったし、外科の中でも整形かぁ。とぼんやり考えていた。しかも部屋に関しては緊急手術以後でも特に聞かれたり申請した覚えがないので4人部屋。いわゆる大部屋だ。
私は周りに人が居ることをこの時点では特に気にも留めなかった、いや留める余裕がなかったという方が正しいか。そんな関わり合うことはないだろうし、近所付き合いをする必要は無かろうと思ったのだ。
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改めて自分の足を見て愕然とする。
本来ふくらはぎや向こう脛がある場所に金属の棒が貫通している。
上の棒(櫓)から吊るされた右足は、重力を思い出すたび軋んで痛んだ。
左足はガッチゴチに巻かれ、最初だけは吊るされていた。
左足も砕け散ってたかと思いきや、損傷してたのは足の甲だけでした。
足元にクッションを入れてあるが、体を少し捻るだけで足の先が何倍も派手に捻られる感覚であった。そして両足という踏ん張りが効かないと上半身も起こせないのをココで知った。人体ってちゃんとバランス取ってるんだなぁ
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横になってるだけ。
怠惰の証左として羨望を受けるかも知れない行動であるが
これ「しか」できないってもんっっっっっっっの凄く精神削れます。
移動してすぐは私物というものを何も持ってない状態。
スマホも職場などの関係各所への連絡のために渡してしまっていたので、ホントに何も無い。移動もできないから気晴しもない。本もないし音もない。
何もない。ホント何もない。
睡眠しようにもこんな時間に寝れる訳ない。というか私寝られない。
そして大部屋でも気にする必要は無いだろうと思っていた同部屋の方々は私より断然動ける人たち。
その人達が会話したりトイレへ向かったり歯を磨いたりリハビリに向かったり自分でカーテンを閉めたり開けたり。
その一挙一動がひたすら羨ましかった。
なぜ自分は自分の身の回りのことすらいきなりできなくなってしまったのか
体が痒くても掻く事もできやしない。
悔しくて、日を重ねるたび臭う自分の手を自分で洗うこともできない現実に歯を食いしばって泣いた。
どうしてこんな事になったんや。私が何したって言うんや。
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病室って天井に常設されている蛍光灯というのが無くて、頭上の処置灯やパネルライトを自分で点灯させて自分のベッドの周囲だけ採光するんですが、私のベッドの位置はトイレの横というのもあってしっかりした壁があり、廊下からの光は殆ど入らなくて、薄暗いじゃなくて暗かったんですよ。
腕時計も事故当時はしてましたがとっくに外されてますから時間も判らない。看護師さんが処置に来るのも定時ではないので、時間を判別できるのが10時12時14時に係る館内放送、食事だけでした。
体内時計ボロクソに狂いまくりました。
上半身はほぼ無傷と言えたので、入院してすぐも常食(普段の食事)が出て来たんですが
喰えねぇ・・・・・・!!!!
苦手な食材とかそういうのじゃなく
固形物食べるだけの気力がない・・・!!! なんでそういう時に限ってカレー出るんですかね?!
牛乳やゼリー、スープなどをちょっと啜るくらいでダメでした。
横になることに慣れ腐った体は、ベッドのリクライニングを使って上体を挙げることに反発しやがりまして、ものの5分も頭を上にできなかったのです。人間廃れる時はあっという間ですな。
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我思う故に我ありとは言いますが、「何もすることがない」と過去をほじくって後悔するしかできなくなります。
入院すぐは事故の瞬間をほじくり思い出し痛で悶絶し、救急車のサイレンで搬送されるまでを思い出し過覚醒して冷や汗を吹き出し、点滴を差し替えられるたび手術前までの待機時間の苦痛を思い出して泣き出し。
何を考えても思い出しても全部事故へつながる。
そして今なお続く激痛に現実を思い知らされて傷つくことになる
そうして、私は考えることを辞めた。
だからこの辺は、詳しく覚えていない。
叶うなら、これからも思い出したくない人生の一節である