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個人伝道の勧め②
第①回では、種蒔きと刈り入れについて分かち合いました。今回は、実を結ぶ土壌を作るという観点から分かち合いたいと思います。
以下御言葉を引用します。
マタイの福音書13章3節後半〜9節
「見よ。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
蒔いていると、種がいくつか道端に落ちた。すると鳥が来て食べてしまった。
あなたが福音を語った人の近くで何でも話せる立場に居るなら、蒔かれた福音の種の成長をサポートすることが出来るかもしれません。
種を蒔く人のたとえには、人の心の状態のついて3種類例えられています。
今回はそのうちの一つをピックアップします。
種が道端に落ちた、と書いてあります。道端ということは、誰かの固有の土地ではない場所です。多くの人が通り過ぎていき、あまり目を留めない。そのような場所です。
そのような場所に種が蒔かれてしまうと、鳥が来て食べてしまうと聖書に書いてあります。
13章の19節には、たとえの解釈が書かれています。
マタイの福音書13章19節
誰でも御国の言葉を聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪います。道端に蒔かれたものとは、このような人のことです。
せっかく語った言葉も、聞く人の理解が伴わななければ意味がありません。理解されていない言葉は、いずれ悪いものに奪われてしまいます。
逆に言えば、その人が理解さえしていれば、受け入れる受け入れないに関わらず、心にしっかりと種が植えられているのです。それは、容易には奪われません。
その人が理解しているかどうかは、外からはなかなか分かりません。
もし自分が語った時にいい反応を見せたとしても、勝手な解釈で語った内容を捉えているかもしれません。
逆に黙って何の反応もなかったのに、実は、めちゃくちゃ心に響いていたということもあります。
もしあなたが伝道した人の近くの立場にいるのなら、福音を聞いてどういう理解をしたのか確認して下さい。
必要なら補足説明や救いの証を加えて下さい。
そしてその人が理解したのをしっかりと確認して下さい。
そうすることで、み言葉の種がしっかりとその人の心に植えられるでしょう。